梅便り3/5①

摂社旧社殿前の飛梅(とびうめ)が見頃です。
都の私邸の庭に植えられていた梅を菅公はとても愛されておりました。
世は時すでに武家社会へと変貌しようとしていた時代、
左大臣藤原時平の讒言により天皇の誤解を受け、延喜元年(901年)に大宰府の地へ左遷されてしまいます。私邸を跡にする折、愛した梅に詠んだ詩が「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」です。「春になり東風が吹いたなら、私の赴く大宰府の地まで都の香りを届けておくれ。」と、天皇を恨むことなく、常に政治の行く末を案じている道真公らしい詩です。
その梅はやがて、主を慕って一夜にして大宰府の地へ飛び移ったと伝えられます。今も大宰府天満宮の社殿前にあり、毎年花を咲かせて道真公の御霊を慰めております。
当社の飛梅は接ぎ木という分け方によって大宰府から北野天満宮へ分けられ、北野からいただいてきたものです。
通常梅は野梅の台木に接ぎ木をして株を分けていきます。発芽率は低いものの、種からも増やすことはできますが、おそらくバラ科は花粉による交配がしやすいため、種(たね)による実生は種(しゅ)の保存に適さないのだと思われます。当社でも接ぎ木と種によって数株の飛梅の苗を作っていますが、実生の株の花は少し花弁が薄く、開花期も1ヶ月も早く、明らかに受粉によってDNAに変化があったようです。
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