当社で一番株数が多いのは、やはり社紋にもなっている加賀梅です。ようやく見頃になってきました。豊後系の勞謙もほんの少し開いています。今年も花付きが押しくらまんじゅうです。
社殿脇の満月枝垂れも開き始めました。
月別アーカイブ: 2015年2月
山茱萸(さんしゅゆ)
梅便り2/24
日待ち梅
東日本大震災からもうすぐ4年。復興支援のためにせめてもと始めた義援金集め。紫外線で変色する素材で作った梅のストラップ。4年近く経過した今も時折買いにおいでになってくれる方がいます。ありがたいことです。
作った当時はネーミングにも苦労しました。「変わり梅」とか、紫外線を知らせるから「女性の味方、美肌梅」とか。でも復興のためという気持ちから、「復興の日を心待ちにする」を略して「日待ち梅」としました。
本体のデザインは当社の社紋である加賀梅にして、以前巫女のアルバイトだった娘がジュエリーデザイナーをしていたので、まず銀で型を作ってもらい、そういった仕事をしている知人に送り、中国やタイなどで安価で作ってくれるところを探してもらいました。この過程で少し学びました。それは価格やロットの折り合いがつかずに、結果は日本国内で作ることになったのですが、私の心中に中国に対する嫌悪感のようなものがあって、多少高くても国産が良いと判断した自分の思慮の浅さでした。中国では国産の半値以下でできるのですがロットは2万個以上。国産は2000個で作れました。ただし原価は倍以上。義援金集めで品物を作って売るということの小さなリスクとは、全く売れなかった場合の損金は〇十万円。仮に現実的に売れなかったなら、どうせ損するんだったらその〇十万円を義援金にしたらよかった、と後悔したくありません。反対に完売すればその3倍程度の義援金を送ることができるのですが・・・。
もう一つ学んだのは、震災の時に反日運動が盛り上がっていると報道されていた中国や韓国の町に、「日本がんばれ」といったような横断幕があちこちに掲げられ、街灯で募金活動も行われていたこと、これらを後々知ったことでした。敵対し、一括りに考え、いわば国内の報道に半ば洗脳されているのは自分ではないかと気づきました。実際に、日待ち梅を買ってくれた人の中には中国の留学生などもいました。反省です。
さて、肝心の復興はというと、進んではいるものの、解決し得ない住宅問題や帰郷、被災者の未来、核のゴミ等々、「未曾有」という言葉に国や人間の限界が見えるような気もします。とにかく、復興の規範となるような出来る限りより良い結果に近づくよう祈るばかりです。
日待ち梅は完売するまで続け、またそのあとの策も考え中です。
梅便り2/22
春一番の話も聞かれるようになり、梅の枝をせわしなく異動して蜜をついばむメジロも心なしか機敏になってきたように見えます。神符授与所前の思いのままは5分先を過ぎたあたりでしょうか。毎日のように梅を楽しみに参拝される方がおいでになります。皆さん、さぞ首が疲れるのではないでしょうか。当社境内の梅は見上げなければなりません。目の高さで見られる梅はほとんどありません。これは9月の例大祭があるからです。境内の出店は約100店前後。この狭い境内で迷子が出るほどひしめきます。そのため、梅だけでなく、ほとんどの樹木は下枝がありません。出店の天幕がぶつからない高さに合わせています。ミズキ科の山茱萸(さんしゅゆ)も普通なら幹の根本付近から上方向に枝を伸ばす木ですが、下枝をはらい、しかも真上に伸びる枝もカットするため、全体がキノコ型になっていきます。
例大祭は年1回。木々にしたら迷惑かもしれませんが、狭い神社で生きる木々の定めとあきらめてもらうしか。
梅便り2/20外伝 増え続ける梅の品種
ここ数日で境内に数本の梅がデビュー。
境内に自宅があり、自宅周りの庭で梅などを種まきしたり接ぎ木したりして苗から育て、ある程度の丈になったところで境内デビューさせてきた。
接ぎ木とは、台木となる野梅や小梅の幹に守るべき品種の枝を接合して育てる方法で、有名な南高梅などもその方法で守られてきている。
今回デビューしたのは接ぎ木の飛梅と実生の飛梅亜種と加賀。梅は品種を守るため接ぎ木が最善の方法。一方種まきによる実生では変化が起きる。つまり、花には他の様々な梅の花粉も受粉し、そして同じ種族故に拒まない。結実した梅の実には様々な梅の遺伝子が入り込み、発芽して育つうちにその特徴が顕われてくる。
飛梅(とびうめ)は、御祭神菅原道真公の死後、京都の旧私邸の庭より一夜にして墓所である大宰府へ飛び移ったという伝説の梅で、現在も大宰府天満宮社殿前にあり、御祭神の御霊を和ませている。それを接ぎ木して京都の北野天満宮へ植樹。さらに接ぎ木で増やし全国の天満宮、菅原神社などへ。当社も北野天満宮よりいただいたものが境内の旧社殿前右側にある。そして今回、名誉宮司が接ぎ木した飛梅が順調に育ち、旧社殿前左側に。そのために移された真榊は迷惑だったかもしれないが、めでたく飛梅が一対になった。ちなみに台木はなんと李(すもも=プラム)の枝を挿し木して根付かせたもの。
一方飛梅の実から発芽して育った飛梅亜種は、たった5年余りで3mに成長し幹も直径7~8センチ。昨年あたりから開花するようになったが、花の数が多いのと白の八重咲きであることは飛梅の特徴。ただし、新たな性質として、①開花が境内のどの梅よりも早い。②花が小柄で花弁が薄い。③成長が早い。この3つが目立っている。特に開花時期が最も早いのは境内の梅にはない冬至梅(とうじうめ)系の特徴。では近所のどの梅かとつきとめるにも、大気中には盆栽の花粉も飛んでいるのだから不可能。そもそも遠い近いもわからない。
こうして実生による株は新品種となり、つまり私が命名しても差し支えはないが、その特徴を守っていこうとするならば接ぎ木をしていかなくてはならないというわけだ。1月に咲いてしまうから、「薄羽睦月」とでも名付けようか。
梅便り2/20
梅便り2/14
寒気と暖気のせめぎ合い。ここ数日は3月並の陽気になり、次々に梅がほころんできています。月影もようやく膨らんできました。正確には青軸系緑咢、梅の中でも原種に近い種類です。昨年の大雪で見事にへし折られましたが、造園屋さんに直してもらい、支え木がつけられてからもう1年近くになりますが、今年もたくさんの花を見せてくれそうです。手水舎裏の塒出錦は、まだ数えるほどしか開いていません。神符授与所前の思いのままは三分咲きくらいでしょうか。あくまでも当社の故実による名前で、品種としての思いのままとは違います。若木の頃は咲き分けていたので名付けられたものですが、老木となって中間色のピンクになってしまいました。出世稲荷社脇の山茱萸は梅ではなくミズキ科です。春の様子を伺うかのように少し膨らんできています。