草木便り 令和4年弥生16日

梅の楊貴妃とひなあられが満開になる頃、出世稲荷脇の山茱萸(さんしゅゆ)もしたたかに満開。当社境内の山茱萸は本来の樹形とはかなり違います。普通なら根元からてっぺんにかけての幹に枝をたくさん伸ばして天を目指すからイメージとしては図のような形になります。ところが、当社境内の山茱萸はキノコ型です。これには境内ならではの理由があります。九月の例大祭や毎月1日の骨董市など、多くの出店がある境内では、この山茱萸だけでなく、梅も露店の設営に邪魔にならないよう下枝をまめに伐ります。そして上を目指す枝は手入れができなくなるためカットし、横向きの枝を残します。かくして山茱萸は幹から枝を伸ばすのを諦め、キノコ型で生きることになってしまいました。

梅便り 令和4年如月4日

コロナ禍で2年続けて節分行事が中止となり、
本来疫病や災厄を追い払うための豆まき行事が、密を避けるために中止されるとは、何とも複雑な思いです。そんな人の気持ちを知ってか知らずか、境内の梅の蕾はだいぶ膨らんでまいりました。ようやく飛梅(とびうめ)の実生(みしょう=種から育った亜種)「薄羽睦月」が八重の花を三分ほどつけました。命名したのは私です。旧社殿前の飛梅の花に他の梅の花粉が付いて、できた果実の種は別の遺伝子がプラスされます。種から育った木を実生(みしょう、またはみせい)と呼び、いわゆるミックスになります。この飛梅の実生は花が飛梅よりやや小さいこと、成長が早いこと、花弁が薄いこと、そして何より早咲きであるなど、親の飛梅とは性格がだいぶ違います。花弁が薄いことと1月に開花することから、「薄羽睦月」と命名しました。

楠の枝降ろし

 長引くコロナ禍の自粛生活で、さぞやストレスの溜まることも多いかと存じます
が、大切な人々のためもうひと頑張りです。そもそも、コロナウイルスはほぼ人体の中でしか生きられない弱いものです。ワクチンが概ね行き渡ればウイルスは生きる場所を失います。来年の今頃はインフルエンザ並みのレベルになっているはずです。
さて、人流を抑え密を避ける対策は、神社も大きな影響を受けました。

そんな中、いよいよ楠の大木の枝降ろしをしなければならない年になり、7年ぶりに大型クレーン車と高所作業車による枝降ろし作業が開始されました。ご参拝の際にはご注意下さい。

梅便り 令和3年弥生7日

緊急事態宣言が2週間延長されましたが、再延長がなければ解除される頃に染井吉野が満開。解除と花見、タイミングがよろしくないと思うのは私だけでしょうか。桜の開花が間近になると、いよいよ境内の梅も遅咲きの楊貴妃で最後になります。というのは一昨年あたりまでで、楊貴妃と足並みを揃えて咲く梅が登場しました。まだ背丈は2mほどですが、豊後系なので成長が早く、花つきも良いようです。ただし、境内の豊後系の勞謙の花に別の梅の花粉がついてできた種から発芽したいわゆる実生で、数年間鉢で育てて境内デビューした新種ということになります。花は小粒でふくら咲き型、赤色が混じっていて、花によっては花弁の先端が赤いものもあって可愛らしい新種です。このまま色ぼけせずに大きくなってくれることを期待しています。いづれにしても3月まで楽しめる遅咲きの梅が増えたことは喜ばしいことです。

梅便り 令和3年睦月19日

静岡県で感染経路不明の変異ウイルス感染者が見つかり、いよいよ緊張感が高まってきたものの、まだ都内繁華街の人出は去年の4月ほど減らず、危機感を感じるほどの爆発的な感染拡大がない限りは、受け止め方は緩いままなのかと思うと末恐ろしく感じます。宗教法人に事業費補助は出ません。当社も4月の参拝者が半分になりましたが命あっての物種、出来得る限りの感染対策を講じています。
どの株も1輪ないし2輪ですが、境内で最も多い白加賀が開き始めました。

梅便り 令和3年睦月18日

新型コロナウイルスの状況は横這い。今年の場合は梅や桜が特に人の心を慰めてくれることと思いつつ、本当の春は遠いように感じられます。当社の9月の大祭もできるなら一昨年までのように賑やかに斎行したいという切なる思いは持ちつつ、オリンピック・パラリンピックの開催の可否を基準に考えることとしました。
悔しいとも羨ましいとも思えますが、境内の梅は淡々と蕾を膨らませはじめ、駐車場入り口脇の「薄羽睦月(うすばむつき)」(飛梅の実生種)が2輪開きました。

令和二年秋季例大祭当日

コロナ禍の今年、様々な行事や社務が縮小され、本日斎行される例大祭式典も参列者は氏子総代と正副祭典委員長のみ。本来なら60名余りが参列する式典もソーシャルディスタンスぎりぎりの11名です。例年なら狭い境内に100店がひしめき、迷子が出るほどの混雑になりますが、今年はいつもの静かな境内です。そして明日の神幸祭(神輿巡幸)もできず、各町内会は神酒所を設けません。
夜店もなく神輿も出ないとなれば「お祭は無い」と思われてしまうのは残念です。お祭は年に一度の御祭神のお祝いの日です。式典は粛々と斎行されます。境内で準備する店のざわめきもなく、静かに斎行されますが、式の進行、神饌物はいつも通りです。ただし私が奏上する祝詞は少し違います。例大祭の祭詞にコロナウイルス終息の祈願詞が追加されます。
いざ本番の日を迎えると、余りの静けさにわかっていても夢のように感じてしまいます。当社の例大祭は彼岸中、いつものように境内には彼岸花があちこちに咲き誇ります。それもまた、大賑わいの祭となれば、神輿を見物しようと玉垣に詰め寄る人垣に少なからずつぶされたりしますが、今年は安心して満開になろうとしています。皮肉なものです。秋雨に濡れる萩がゆれています。当社祭礼の名物「雨の天神様」だけは健在なようです。

3・11と新型コロナウイルス

境内では遅咲きの梅も終わり、世間は桜にバトンタッチです。3・11も9年目を迎えて、各所で追悼行事が粛々と行われるはずが、もはや地球規模にまで拡大している新型コロナウイルスの影響で、縮小して開催されました。当社でも手水舎の柄杓や鈴緒など、不特定多数の人が触れる物は撤去させていただきました。手水舎は柄杓を使わずに手前で手が洗えるよう改良しました。俗にお祓いと呼ばれる社殿内での祈願は半減していますが、境内に散歩がてら訪れる家族連れなどは以前より増えているようです。やはり広さがあって風通しが良い場所ですから、自粛ムードで溜まったストレスを癒すのには良い場所と言えるのでしょう。
 本日、4年ぶりにNHK仙台放送の田辺さんが取材に訪れました。当社では震災以来、復興支援金作りとして「日待ち梅」の販売を続けています。かれこれ100万円ほど陸前高田市へ送れました。それでも売れ行きは次第に落ちています。震災後、災害列島と言われるほど国内では自然災害が相次ぎました。人情として直近の災害に心が向くのは当然のことかと思いますが、日待ち梅を始めた当初に「決してぶれない」と心に言い聞かせたことが大きいのかもしれません。そもそも、風化という言葉が好きではありませんから。今回の田辺さんの訪問が気持ちを引き締めてくれたように感じました。
オリンピックは来年以降に延期される雰囲気です。今は各アスリートも競技人生より命優先です。もし来年であれば、あくまでも希望的観測になりますが、新型コロナウイルスが終息していて、暖かい春を迎えて、震災より10年目となり、自粛により溜まっていたストレスや経済の再建、そしてオリンピックの夏が来て、文字通り「復興五輪」で国民が湧き上がる力強い年を迎えられるのではないでしょうか。終息が見えない今、必ずそうなると言えないのが悔しく、苛立たしくてなりませんが。
さて、皆さんも分かっていることを文字にしてみます。当社では5月第3日曜日に飯綱山王祭という恒例祭があります。式典の後、神楽殿で歌やダンス、バンド、和太鼓などを夕方まで賑やかに行います。今回、コロナの対策として神楽殿の催しと境内の出店を全て取り止め、少人数による式典のみに縮小いたしました。言うまでもなくクラスターの危険性を作らないためです。催し物を通常通りに強行するとはどういうことか考えました。集まる不特定多数の人の中に、未発症の感染者がいる可能性があるとすると、そこから高齢者や持病のある人に感染する可能性が生まれるということで、そして重症化して死亡する可能性があります。つまり、大勢の人が集まる機会を作る主催者は、間接的に人を殺してしまう可能性を故意に大きくしてしまうということになります。私は、その間接的殺人の首謀者になりたくない。人類の平和と幸せを願う宗教人が、そんなリスクを作り出してよいわけがありません。そう思っただけです。
皆さん、頑張りましょう。ワクチンも薬もできて、来年は今年の反動もあってきっと良い年になると信じて。

立春(旧正月)

ポカポカと温かく、まさに立春が春立つと書くような陽気。昨日は節分祭が賑やかに執り行われ、鬼打ちで厄を祓って清々しい気持ちで今日を迎えた人は少なくないはず。節分の豆まきが一般に流行する以前は、皇室の大晦日に行なわれる追儺の行事でした。やはり災厄を打ち払う意味で行われていましたが、撒いていたのは大豆に限らず穀類であったということです。これが庶民に伝わり手ごろな大豆が定着したということでしょう。もし、元旦も新暦(西洋歴)ではなく旧暦のままであったなら、大晦日に節分行事をして、翌日は初詣と忙しいことになっていたでしょう。明治以前は今日が新年元旦ですから、七草の素材も野で採ることができたのも、旧暦1月7日であったからです。無理やり新暦7日に七草といっても、野はまだ真冬ですから売っているもので間に合わせるしかありません。もう少し旧暦とうまく付き合わないと、日本人の季節感がずれていってしまうように思います。

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人間を一旦傍らに置いて考えれば、暦など関係のない草花は淡々と季節の変化に合わせて生きています。日本人の体内時計を草花に合わせていけば、本来の在るべき生き方に戻していけるような気がします。
境内では鹿児島紅と故実の思いのままが見頃です。飛梅も少しほころんできました。
真冬に頑張ってきた蝋梅を引継ぐように、シナマンサクの花がほどけて、ミツマタも外側からポツポツと開き始め、山茱萸(さんしゅゆ)も暖かな陽気に固い蕾を緩めています。

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さんしゅゆ

春は足早に

境内の梅もいよいよほころんでくるかと待ちわびていた先月末のこと、不覚にも流行り病に侵されてしまいました。宮司がタミフル飲みながら約1週間の軟禁状態でも、年頭の神社行事は淡々と行

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われていきます。今回は4名しかいない神職が私を含め2名インフルエンザにやられるという非常事態でした。太子講例祭と初天神祭を奉仕できなかったのは初めてのことです。

待ちわびていた梅たちも私が熱と闘っている間に次々と開花。時間が止まっていたのは私だけでした。2月に入り暖かな日が続いて、今日は初午。初午はお稲荷さんの年1回の例祭日です。毎年、初午と12日後の二の午には、件数こそ減ったものの数社のお稲荷さんを廻ります。林の中に佇む社もあれば、建物の屋上やベ

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ランダに鎮座する稲荷社もあります。例年、午前9時に当社境内の出世稲荷社を奉仕してから、会社や個人宅の稲荷社の奉仕に出掛けますが、今年は日の巡りで特に初午が早かったため、14日の二の午に集中しています。