梅便り 令和六年如月

令和2年以来の節分祭がにぎやかに執り行われ、気温は低かったものの風がなく、日差しが心地よい好天にも恵まれました。延べ1500人くらいの参拝客で賑わい、豆と共に福を分ける年男年女も張り合いがあったことでしょう。
温暖化、暖冬と騒がれているわりには、節分の二日後に突然の大雪警報。雪に弱い東京圏は、鉄道とバスが止まり、主要道路も通行止めにしたりと大慌て。それを地方出身者が「この程度で」と揶揄する報道をしばしばに耳にしますが、恥ずかしいどころか思慮の浅い発言と笑ってしまいます。頻繁に大雪に見舞われるところと違って、めったに降らない雪のために、大きな予算は立てられないだけのことです。
ただし、困ったことに当社ではまた梅が倒れてしまいました。すでに造園屋さんにお願いしてありますが、嘘のように晴れた空に塒出錦と小梅が咲き誇っている隣には、いつもなら並んでいるはずの月影がなく、幹がねじれて裂け、自立できなくなっています。数年前にも同じように倒れましたが、まだあの時の傷は完治していなかったようです。梅は強いから大丈夫と信じて、また庭師さんに治してもらいます。当社も、雪対策の予算は考えていませんでした。

令和4年文月1日 奉納大注連縄取付け

にわかに猛暑続きの日々、梅雨があったのかなかったのか分からないほどです。コロナの微増傾向に加えて、熱中症でたくさんの人が倒れ、水不足の地域あり、野菜も暑さで生育が悪く、年々日本は、地球はどうなっていくのでしょう。
去る水無月30日に夏越しの大祓へと茅の輪神事を斎行し、いよいよ令和4年も後半に入りました。その節目に社殿前の新しい大注連縄が奉納され、文月1日に取り付けました。この注連縄は当社を厚く信仰する方が匿名で奉納してくださり、今回で2回目です。ありがたいことです。

草木便り 令和4年如月21日

今年の2月10日初午(はつうま)に赤い稲荷鳥居が1基奉納されました。旧暦には日毎に十二支があります。よくご存じのところでは、熊手を売る酉の市。11月の酉の日に開かれる市で、12日に1度行われますから、11月中に2回の年と3回の年があり、酉の日が3回ある年は火事が多いという言い伝えがあります。初午は2月最初の午の日のことで、年に一度のお稲荷様の例祭日です。今年は新しい鳥居を奉納されたヤマギワPCサービスの代表の方も参列してくださり、境内社ですから盛大ではないものの、祭壇にお供え物を揃えて厳粛に禰宜が奉仕致しました。その初午の頃、春の様子をうかがうようにほどけ始めたシナマンサクの花が、今日はすっかりほどけきっていました。鳥居脇の山茱萸(さんしゅゆ)はまだ小さい玉のような蕾から少しだけ顔をのぞかせて春を待っているようです。

立春(旧正月)

ポカポカと温かく、まさに立春が春立つと書くような陽気。昨日は節分祭が賑やかに執り行われ、鬼打ちで厄を祓って清々しい気持ちで今日を迎えた人は少なくないはず。節分の豆まきが一般に流行する以前は、皇室の大晦日に行なわれる追儺の行事でした。やはり災厄を打ち払う意味で行われていましたが、撒いていたのは大豆に限らず穀類であったということです。これが庶民に伝わり手ごろな大豆が定着したということでしょう。もし、元旦も新暦(西洋歴)ではなく旧暦のままであったなら、大晦日に節分行事をして、翌日は初詣と忙しいことになっていたでしょう。明治以前は今日が新年元旦ですから、七草の素材も野で採ることができたのも、旧暦1月7日であったからです。無理やり新暦7日に七草といっても、野はまだ真冬ですから売っているもので間に合わせるしかありません。もう少し旧暦とうまく付き合わないと、日本人の季節感がずれていってしまうように思います。

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人間を一旦傍らに置いて考えれば、暦など関係のない草花は淡々と季節の変化に合わせて生きています。日本人の体内時計を草花に合わせていけば、本来の在るべき生き方に戻していけるような気がします。
境内では鹿児島紅と故実の思いのままが見頃です。飛梅も少しほころんできました。
真冬に頑張ってきた蝋梅を引継ぐように、シナマンサクの花がほどけて、ミツマタも外側からポツポツと開き始め、山茱萸(さんしゅゆ)も暖かな陽気に固い蕾を緩めています。

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さんしゅゆ

夏越大祓への準備 茅の輪作り

平成30年も折り返しまでわずかとなりました。皆様半年間如何でしたでしょうか。大阪で不自由な暮らしをしている皆様には、一日も早く平穏な暮らしが戻りますようお祈り申し上げます。
町田天満宮では本日氏子総代が奉仕して夏越大祓へに向けて茅の輪作りが行われました。本儀は半年分の罪や穢れを祓う行事として斎行されるものですが、元旦やお彼岸、お盆、季節、また誕生日などは節目としての役割もあります。人間は生活に節目がないと生きられません。一年の節目もなく、季節も記念日もなく、同じ毎日を過ごしていたらどうでしょう。夏越大祓へは半年の大切な節目です。

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それぞれに年の後半に向けて気持ちを切り替えたり引き締めたり、前半の反省や更なる勢いをつけるため、病気をした人は後半に向け体に留意し、健康で過ごせた人は気を緩めず、様々に思いを廻らせて茅の輪をくぐっていただけたらと思います。本番は30日の午後5時より斎行いたします。既に人形(ひとがた)の入っている型代をお分けしておりますので、紙製の人形に名前を書いて、息を吹きかけて初穂料(規定額無し)と共に袋に入れて当日までにお持ちいただければ、茅の輪くぐりに続きお焚き上げを致します。

タウンニュース掲載コラム「宮司徒然」其の11 お屠蘇とオケラ

お屠蘇(おとそ)は現在、正月元旦に1年の厄除けと幸福を願って飲む縁起物のお酒とされているが、実は処方の難しいれっきとした漢方薬で、濃すぎれば反対に体調を崩すこともある。今ではティーバッグになって市販されているが、これは成分こそ間違いはないものの、身体に入れても薬効もなく勿論害もない文字通りの縁起物だ。大晦日に数種類の薬草を混ぜて酒に浸して作るが、その中にオケラの根が入っている。水分代謝が悪くむくみやすい人には効能があるとされている。また、オケラの新芽や若葉は山菜としても美味しくいただける。

川崎市寺家のオケラ

このオケラの根は違う利用もされている。京都の八坂神社(祇園社)は大晦日に「おけらまつり」という神事がある。焚き上げの中にオケラの根が入れられ、参拝者はその火種を専用の縄に移して、消えないように振り回しながら家まで持ち帰りその火で雑煮を作って家族で食べれば、1年間無病息災に過ごせるという。その昔は火種を振る人に限り電車内も咎められなかったというから、鉄道会社の寛大な措置もさることながら、よほど京都の人にとって大切な風習であることがわかる。オケラの薬効は無病息災や厄除けに派生し、良き風習として京都の人々の心に根付いている。
一方、都としてはるかに歴史の浅い東京には、さほどの伝統的な古い風習はない。それでも正月元旦に家族揃って御節を食べるとか、七夕飾りをするとか、うなぎを食べるとか、十五夜を眺めるとか、家族でできる習慣はたくさんあるが、はたして家族は集まっているのだろうか。各々が日々頑張り、時に集まって語り、また頑張り、また集まる。これを繰り返していくことが人間生活には大切なこと。孤独な人がいたなら集まれば孤独でなくなる。簡単ではなくともそういう社会が理想。世界各国にもあるように、日本にも集まるきっかけとなる良き風習がたくさんある。利用しない手はない。良き習俗が消えゆくことと、家族や狭い地域社会の繋がりが希薄になっていくことはあながち無関係とは言えない。