梅便り 平成31己亥歳如月26日

いよいよ暖かな日が多くなり、当社の梅も豊後系がほころび始めています。出世稲荷社前には鳥居を挟んで梅と山茱萸が、大鳥居脇の思いのままはいくつか赤花が混じっています。手水舎裏の白加賀と塒出錦は紅白賑やかに重なり合い、旧社殿前の飛梅、社殿脇の満月枝垂れも見頃です。梅の時期も後半になってきました。

Exif_JPEG_PICTURE

Exif_JPEG_PICTURE

Exif_JPEG_PICTURE

Exif_JPEG_PICTURE

Exif_JPEG_PICTURE

Exif_JPEG_PICTURE

梅便り 平成31己亥歳如月廿日

今日はポカポカ陽気。境内の梅の蜜をついばむメジロたちも忙しそうです。月影と塒出錦が紅白に交わり、すでに思いのまま(一社の故実による)は花吹雪。競うように出世稲荷社前の山茱萸(さんしゅゆ)がほころび始めました。

月影と塒出錦

思いのまま(故実)

山茱萸

山茱萸

立春(旧正月)

ポカポカと温かく、まさに立春が春立つと書くような陽気。昨日は節分祭が賑やかに執り行われ、鬼打ちで厄を祓って清々しい気持ちで今日を迎えた人は少なくないはず。節分の豆まきが一般に流行する以前は、皇室の大晦日に行なわれる追儺の行事でした。やはり災厄を打ち払う意味で行われていましたが、撒いていたのは大豆に限らず穀類であったということです。これが庶民に伝わり手ごろな大豆が定着したということでしょう。もし、元旦も新暦(西洋歴)ではなく旧暦のままであったなら、大晦日に節分行事をして、翌日は初詣と忙しいことになっていたでしょう。明治以前は今日が新年元旦ですから、七草の素材も野で採ることができたのも、旧暦1月7日であったからです。無理やり新暦7日に七草といっても、野はまだ真冬ですから売っているもので間に合わせるしかありません。もう少し旧暦とうまく付き合わないと、日本人の季節感がずれていってしまうように思います。

Exif_JPEG_PICTURE

人間を一旦傍らに置いて考えれば、暦など関係のない草花は淡々と季節の変化に合わせて生きています。日本人の体内時計を草花に合わせていけば、本来の在るべき生き方に戻していけるような気がします。
境内では鹿児島紅と故実の思いのままが見頃です。飛梅も少しほころんできました。
真冬に頑張ってきた蝋梅を引継ぐように、シナマンサクの花がほどけて、ミツマタも外側からポツポツと開き始め、山茱萸(さんしゅゆ)も暖かな陽気に固い蕾を緩めています。

Exif_JPEG_PICTURE

さんしゅゆ

春は足早に

境内の梅もいよいよほころんでくるかと待ちわびていた先月末のこと、不覚にも流行り病に侵されてしまいました。宮司がタミフル飲みながら約1週間の軟禁状態でも、年頭の神社行事は淡々と行

DSC_0008

われていきます。今回は4名しかいない神職が私を含め2名インフルエンザにやられるという非常事態でした。太子講例祭と初天神祭を奉仕できなかったのは初めてのことです。

待ちわびていた梅たちも私が熱と闘っている間に次々と開花。時間が止まっていたのは私だけでした。2月に入り暖かな日が続いて、今日は初午。初午はお稲荷さんの年1回の例祭日です。毎年、初午と12日後の二の午には、件数こそ減ったものの数社のお稲荷さんを廻ります。林の中に佇む社もあれば、建物の屋上やベ

DSC_0003

ランダに鎮座する稲荷社もあります。例年、午前9時に当社境内の出世稲荷社を奉仕してから、会社や個人宅の稲荷社の奉仕に出掛けますが、今年は日の巡りで特に初午が早かったため、14日の二の午に集中しています。