にわかに猛暑続きの日々、梅雨があったのかなかったのか分からないほどです。コロナの微増傾向に加えて、熱中症でたくさんの人が倒れ、水不足の地域あり、野菜も暑さで生育が悪く、年々日本は、地球はどうなっていくのでしょう。
去る水無月30日に夏越しの大祓へと茅の輪神事を斎行し、いよいよ令和4年も後半に入りました。その節目に社殿前の新しい大注連縄が奉納され、文月1日に取り付けました。この注連縄は当社を厚く信仰する方が匿名で奉納してくださり、今回で2回目です。ありがたいことです。
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令和3年秋季例大祭 幟立て
迷走した末に九州、四国、南紀を突き抜けた台風一過の今日、空は晴れわたり汗ばむほどの好天。昨年に続き縮小して斎行される秋季例大祭を来週に控え、神職だけで幟を掲揚しました。年に一度の神様をお祝いする日、宮神輿巡幸や境内を埋める出店も中止となり、参列人数を制限しての式典だけ予定されています。それでも決して式の内容は厳粛に、お供え物はいつも通り豪華にします。祝詞は去年同様に「コロナの早期終息祈願詞」が加えられます。
青空にはためく幟を見上げ、囃子が賑やかに祭を知らせ、各町内会が神輿を担ぎ渡し、境内に100店余りの露店がひしめき、神楽殿で神楽や和太鼓が披露される、当たり前だった一昨年までの祭りに早く戻るよう祈るばかりです。
令和二年秋季例大祭当日
コロナ禍の今年、様々な行事や社務が縮小され、本日斎行される例大祭式典も参列者は氏子総代と正副祭典委員長のみ。本来なら60名余りが参列する式典もソーシャルディスタンスぎりぎりの11名です。例年なら狭い境内に100店がひしめき、迷子が出るほどの混雑になりますが、今年はいつもの静かな境内です。そして明日の神幸祭(神輿巡幸)もできず、各町内会は神酒所を設けません。
夜店もなく神輿も出ないとなれば「お祭は無い」と思われてしまうのは残念です。お祭は年に一度の御祭神のお祝いの日です。式典は粛々と斎行されます。境内で準備する店のざわめきもなく、静かに斎行されますが、式の進行、神饌物はいつも通りです。ただし私が奏上する祝詞は少し違います。例大祭の祭詞にコロナウイルス終息の祈願詞が追加されます。
いざ本番の日を迎えると、余りの静けさにわかっていても夢のように感じてしまいます。当社の例大祭は彼岸中、いつものように境内には彼岸花があちこちに咲き誇ります。それもまた、大賑わいの祭となれば、神輿を見物しようと玉垣に詰め寄る人垣に少なからずつぶされたりしますが、今年は安心して満開になろうとしています。皮肉なものです。秋雨に濡れる萩がゆれています。当社祭礼の名物「雨の天神様」だけは健在なようです。
3・11と新型コロナウイルス
境内では遅咲きの梅も終わり、世間は桜にバトンタッチです。3・11も9年目を迎えて、各所で追悼行事が粛々と行われるはずが、もはや地球規模にまで拡大している新型コロナウイルスの影響で、縮小して開催されました。当社でも手水舎の柄杓や鈴緒など、不特定多数の人が触れる物は撤去させていただきました。手水舎は柄杓を使わずに手前で手が洗えるよう改良しました。俗にお祓いと呼ばれる社殿内での祈願は半減していますが、境内に散歩がてら訪れる家族連れなどは以前より増えているようです。やはり広さがあって風通しが良い場所ですから、自粛ムードで溜まったストレスを癒すのには良い場所と言えるのでしょう。
本日、4年ぶりにNHK仙台放送の田辺さんが取材に訪れました。当社では震災以来、復興支援金作りとして「日待ち梅」の販売を続けています。かれこれ100万円ほど陸前高田市へ送れました。それでも売れ行きは次第に落ちています。震災後、災害列島と言われるほど国内では自然災害が相次ぎました。人情として直近の災害に心が向くのは当然のことかと思いますが、日待ち梅を始めた当初に「決してぶれない」と心に言い聞かせたことが大きいのかもしれません。そもそも、風化という言葉が好きではありませんから。今回の田辺さんの訪問が気持ちを引き締めてくれたように感じました。
オリンピックは来年以降に延期される雰囲気です。今は各アスリートも競技人生より命優先です。もし来年であれば、あくまでも希望的観測になりますが、新型コロナウイルスが終息していて、暖かい春を迎えて、震災より10年目となり、自粛により溜まっていたストレスや経済の再建、そしてオリンピックの夏が来て、文字通り「復興五輪」で国民が湧き上がる力強い年を迎えられるのではないでしょうか。終息が見えない今、必ずそうなると言えないのが悔しく、苛立たしくてなりませんが。
さて、皆さんも分かっていることを文字にしてみます。当社では5月第3日曜日に飯綱山王祭という恒例祭があります。式典の後、神楽殿で歌やダンス、バンド、和太鼓などを夕方まで賑やかに行います。今回、コロナの対策として神楽殿の催しと境内の出店を全て取り止め、少人数による式典のみに縮小いたしました。言うまでもなくクラスターの危険性を作らないためです。催し物を通常通りに強行するとはどういうことか考えました。集まる不特定多数の人の中に、未発症の感染者がいる可能性があるとすると、そこから高齢者や持病のある人に感染する可能性が生まれるということで、そして重症化して死亡する可能性があります。つまり、大勢の人が集まる機会を作る主催者は、間接的に人を殺してしまう可能性を故意に大きくしてしまうということになります。私は、その間接的殺人の首謀者になりたくない。人類の平和と幸せを願う宗教人が、そんなリスクを作り出してよいわけがありません。そう思っただけです。
皆さん、頑張りましょう。ワクチンも薬もできて、来年は今年の反動もあってきっと良い年になると信じて。
立春(旧正月)
ポカポカと温かく、まさに立春が春立つと書くような陽気。昨日は節分祭が賑やかに執り行われ、鬼打ちで厄を祓って清々しい気持ちで今日を迎えた人は少なくないはず。節分の豆まきが一般に流行する以前は、皇室の大晦日に行なわれる追儺の行事でした。やはり災厄を打ち払う意味で行われていましたが、撒いていたのは大豆に限らず穀類であったということです。これが庶民に伝わり手ごろな大豆が定着したということでしょう。もし、元旦も新暦(西洋歴)ではなく旧暦のままであったなら、大晦日に節分行事をして、翌日は初詣と忙しいことになっていたでしょう。明治以前は今日が新年元旦ですから、七草の素材も野で採ることができたのも、旧暦1月7日であったからです。無理やり新暦7日に七草といっても、野はまだ真冬ですから売っているもので間に合わせるしかありません。もう少し旧暦とうまく付き合わないと、日本人の季節感がずれていってしまうように思います。
人間を一旦傍らに置いて考えれば、暦など関係のない草花は淡々と季節の変化に合わせて生きています。日本人の体内時計を草花に合わせていけば、本来の在るべき生き方に戻していけるような気がします。
境内では鹿児島紅と故実の思いのままが見頃です。飛梅も少しほころんできました。
真冬に頑張ってきた蝋梅を引継ぐように、シナマンサクの花がほどけて、ミツマタも外側からポツポツと開き始め、山茱萸(さんしゅゆ)も暖かな陽気に固い蕾を緩めています。
夏越大祓への準備 茅の輪作り
平成30年も折り返しまでわずかとなりました。皆様半年間如何でしたでしょうか。大阪で不自由な暮らしをしている皆様には、一日も早く平穏な暮らしが戻りますようお祈り申し上げます。
町田天満宮では本日氏子総代が奉仕して夏越大祓へに向けて茅の輪作りが行われました。本儀は半年分の罪や穢れを祓う行事として斎行されるものですが、元旦やお彼岸、お盆、季節、また誕生日などは節目としての役割もあります。人間は生活に節目がないと生きられません。一年の節目もなく、季節も記念日もなく、同じ毎日を過ごしていたらどうでしょう。夏越大祓へは半年の大切な節目です。
それぞれに年の後半に向けて気持ちを切り替えたり引き締めたり、前半の反省や更なる勢いをつけるため、病気をした人は後半に向け体に留意し、健康で過ごせた人は気を緩めず、様々に思いを廻らせて茅の輪をくぐっていただけたらと思います。本番は30日の午後5時より斎行いたします。既に人形(ひとがた)の入っている型代をお分けしておりますので、紙製の人形に名前を書いて、息を吹きかけて初穂料(規定額無し)と共に袋に入れて当日までにお持ちいただければ、茅の輪くぐりに続きお焚き上げを致します。
節分祭斎行
落雪注意
時ならぬ大雪で東京は大騒ぎでした。
境内も20㎝ほど積もり、今朝から慣れない雪掻きです。
当社は社殿、旧社殿ともに北向きで、夜半に銅板屋根から滑り落ちた雪が凍り、旧社殿は開門できなくなりました。まだ屋根に落ちていない雪が留まっています。ご参拝の皆様、正面中央で参拝をお願いいたします。両脇は危険です。
茅の輪と焚き上げ場設置
いよいよ押し迫ってまいりました。大晦日の夕方より斎行される大はらへに向けて、茅の輪も設置され、茅の輪くぐり参加者により点火される焚き上げ場も作りました。某国のミサイル発射実験で不穏な国際関係の今年でしたが、新しき年は平和が戻りますよう願うばかりです。
夏越大祓への準備
早いもので平成29年も半年になろうとしています。都民ファーストの会が都議会議員選挙に良くも悪くも風を吹かせています。市政と国政は身近に感じられても、メディアで報じられることの少ない都政でしたが、近年の豊洲問題や東京五輪の話題でクローズアップされていることは、決して悪い事ではありませんが、小池都知事以前の知事はマイナス要因で目立っていただけに、豊洲とオリンピックが片付けば都政も安定するのかもしれません。
今年の前半は皆さまいかがでしたでしょうか。茅の輪くぐりは大祓いと共に行われますが、知らず知らずのうちに貯まった「半年の罪穢れ」を言うなればリセットする儀式です。良かったことは勿論、反省や悔いも振り返り、新たな気持ちの節目として茅の輪をくぐります。良いことしかなくてくぐる必要がないと思っても、人は多くの動植物の命をいただいて自分の命を保っています。神道ではそれらに対する感謝の気持ちを忘れない意味で、それもまた仕方がなくとも生きるための罪として捉え、「祓い」の意義が発生しています。
当社でも昨日「茅の輪作り」が氏子総代によって行われ、大祓いの人型を焚きあげる白木の井桁は本日私が製作しました。
大祓と茅の輪神事は30日午後5時より斎行いたします。500円以上お気持ちで身代わりである人型をお納めいただきましたら、記念に茅の輪守りをお渡しいたします。