梅便り 令和4年弥生11日

東日本の大震災から11年、当社では当初支援のための物品販売として、陸前高田市で被災を免れた炭焼き釜で竹炭を作る仙人のような方(紹介者の知人いわく)と繋がり、仙人が焼いた竹炭を岩手の内陸の方々が置物などに加工したものを送ってもらい、社頭で販売。売り上げを被災地の災害対策課へ送りました。その後、悲しいことに竹炭の原材料となる現地の竹炭が汚染物質を吸収してしまうことが判明して中断。汚染された土で翌年に育つ新しい竹は使用できなくなってしまいました。
そこで考案したのが「日待ち梅」でした。宝飾品のデザイナーをしている巫女のOBにより当社の社紋を銀

豊後系勞謙

で製作してもらい、パッケージデザインなどを職員と話し合い、紫外線で変色するビーズ玉を加工する業者を見つけ、販売開始から7年ほど経過。最初の2000個(最低ロット)は順調に売れて、60万円を送金することができました。しかし、国内では次々に自然災害が起こります。熊本地震、九州・四国の豪雨など支援を必要とするところは目白押し。当然です。災害列島という宿命を背負う日本ですから。メディアは新しいニュースを次々に報じます。そして淡々と着実に、苦しみなが

満月枝垂れ

らも復興に向けて歩を進める現地は報じられなくなり、それと共に支援のエネルギーも分散と風化が進んでしまうのも仕方のないことかもしれません。ましてや現在進行形でウクライナの国民が殺害されています。ここまでぶれずに販売してきた私の気持ちさえ揺れています。
2回目の2000個も少しずつですが売れています。11年という節目の今日、日本のみならず世界の平和を祈りつつ、自分にできる範囲でやっていこうと気持ちを修正しています。
愈々桜を予感させる色の豊後系が咲き、社殿脇の「満月枝垂れ」も降るような花をつけて賑やかになってきました。残すは「ひなあられ」と「楊貴妃」のみ。今年は全体的に梅が遅れたので、ソメイヨシノの開花とかぶるかもしれません。

3・11と新型コロナウイルス

境内では遅咲きの梅も終わり、世間は桜にバトンタッチです。3・11も9年目を迎えて、各所で追悼行事が粛々と行われるはずが、もはや地球規模にまで拡大している新型コロナウイルスの影響で、縮小して開催されました。当社でも手水舎の柄杓や鈴緒など、不特定多数の人が触れる物は撤去させていただきました。手水舎は柄杓を使わずに手前で手が洗えるよう改良しました。俗にお祓いと呼ばれる社殿内での祈願は半減していますが、境内に散歩がてら訪れる家族連れなどは以前より増えているようです。やはり広さがあって風通しが良い場所ですから、自粛ムードで溜まったストレスを癒すのには良い場所と言えるのでしょう。
 本日、4年ぶりにNHK仙台放送の田辺さんが取材に訪れました。当社では震災以来、復興支援金作りとして「日待ち梅」の販売を続けています。かれこれ100万円ほど陸前高田市へ送れました。それでも売れ行きは次第に落ちています。震災後、災害列島と言われるほど国内では自然災害が相次ぎました。人情として直近の災害に心が向くのは当然のことかと思いますが、日待ち梅を始めた当初に「決してぶれない」と心に言い聞かせたことが大きいのかもしれません。そもそも、風化という言葉が好きではありませんから。今回の田辺さんの訪問が気持ちを引き締めてくれたように感じました。
オリンピックは来年以降に延期される雰囲気です。今は各アスリートも競技人生より命優先です。もし来年であれば、あくまでも希望的観測になりますが、新型コロナウイルスが終息していて、暖かい春を迎えて、震災より10年目となり、自粛により溜まっていたストレスや経済の再建、そしてオリンピックの夏が来て、文字通り「復興五輪」で国民が湧き上がる力強い年を迎えられるのではないでしょうか。終息が見えない今、必ずそうなると言えないのが悔しく、苛立たしくてなりませんが。
さて、皆さんも分かっていることを文字にしてみます。当社では5月第3日曜日に飯綱山王祭という恒例祭があります。式典の後、神楽殿で歌やダンス、バンド、和太鼓などを夕方まで賑やかに行います。今回、コロナの対策として神楽殿の催しと境内の出店を全て取り止め、少人数による式典のみに縮小いたしました。言うまでもなくクラスターの危険性を作らないためです。催し物を通常通りに強行するとはどういうことか考えました。集まる不特定多数の人の中に、未発症の感染者がいる可能性があるとすると、そこから高齢者や持病のある人に感染する可能性が生まれるということで、そして重症化して死亡する可能性があります。つまり、大勢の人が集まる機会を作る主催者は、間接的に人を殺してしまう可能性を故意に大きくしてしまうということになります。私は、その間接的殺人の首謀者になりたくない。人類の平和と幸せを願う宗教人が、そんなリスクを作り出してよいわけがありません。そう思っただけです。
皆さん、頑張りましょう。ワクチンも薬もできて、来年は今年の反動もあってきっと良い年になると信じて。

梅便り 平成29年弥生11日

東北地方が未曾有の大震災に襲われてから今日で6年。依然福島の原発の影響は残り続け、まだまだ復興は遠く感じます。微力ながらも日待ち梅の販売利益を全て支援金として少しずつ送り続け、現在はありがたいことに品切れ状態。近く2000個が納品される予定です。紫外線で色が変化する素材を見つけ、それを当社の梅の形に加工してくれる業者を探して試作品が作れたのは5年も前のことです。その後、広島の豪雨や熊本地震など自然災害が起こりましたが、支援金を分けなかったのは日待ち梅が東北支援のために作ったものだからです。購入していただいた方々より、素材が弱く割れやすいという報告を受けておりましたので、近日納品されるものは少し厚くして強度を高めています。
いよいよ、当社境内で最も遅い梅が開花しました。背の高い「楊貴妃」と実から育てた「豊後しぼり」です。楊貴妃はその名の如く八重の花弁が波打つ妖艶な紅梅です。豊後しぼりは恥ずかしながら私が命名した梅で、一重の花弁は小粒で丸いふくら咲き、わずかに赤い筋も見えます。豊後梅の花に様々な花粉が付いてできた実ですから親は豊後とどなたなのでしょうか。種を守ることも大切ですが、こうして交配されてゆくのもごく自然なことです。来年、この梅が咲く頃、復興はどれくらい進んでいるでしょう。

鳥居改修工事のご報告

このたび防災対策のため、御影石の鳥居の柱だけを残して、笠木と貫を軽量のものに付け替えることといたしました。かねてより3.11に際しての現地の鳥居被害について調べてまいりましたが、石鳥居のほとんどは激震でも柱が倒れることはないということでした。笠木や貫部分は真ん中で繋いであるものが多く、倒壊してしまった例が多かったようです。当社の笠木も中央でつなげているため、数トンの御影石が落下するのは確実だと推測されます。そこで、乗っている笠木と貫部分だけを外して、塩化ビニール製に取り換えることとしました。建ててから50年を経過した当社の鳥居ですが、3.11の震度5強の揺れでもジョイント部分が割れて破片が落ちていました。参拝者の多い時に激震に見舞われたならどれほどの死傷者が出るのかと、想像するだけで恐ろしいことです。工事は3月から4月に予定しています。ご参拝の皆様には少しの間ご迷惑をお掛け致しますが、何卒ご理解をお願い申し上げます。

東北復興支援金送金のご報告

東北支援のための日待ち梅販売を始めて2年。皆様の温かいご協力のお蔭をもちまして、このたび40万円を送金致し、本日陸前高田市復興局被災者支援室より御礼状と領収証が届きました。購入して下さいました皆様に深く感謝申し上げます。
東北の復興はまだまだです。今日も、お盆で福島に里帰りした知人が写真をアップしていました。こちらには見られない看板です。一日も早い復興を祈りつつ、次なる支援策を模索中です。id-350437799id-350439163id-350439435

草木便り 卯月17日

東北の震災からまる5年が過ぎ、もどかしいほどに復興は進んでいません。支援のために販売している日待ち梅もあとわずか。完売したら残りの30万円を陸前高田市に送ろうと考えていましたが、やはりまる5年を迎えた3月は好調に売れましたが、それもなかなか長続きせず、とりあえず20万円を送金しようと思います。

当社では次なる支援を模索中でした。国内でも続けている人が少ない「馬搬(ばはん)」という職種があります。岩手県で切られた間伐材を単純なものに加工して販売しようかと思案しておりました。ところが、今度は熊本で大地震。日本は自然災害のテンポが早過ぎます。日待ち梅は東北のためのものですから継続しますが、熊本へも心が向かうのは仕方のないことです。ハード面の東北の復興状況はまだ3割程度。故郷から離れて戻れない人は20万人。すぐに熊本へ心をチェンジすることなんてできませんよね。

明け方からの強風と雨は台風並みでした。菊桃が盛期でしたが花弁はかなり叩き落されています。自然は情け無用です。

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日待ち梅続報

開花を待ちきれず、メジロが枝を渡るようになりました。3.11の震災から5年になろうとしています。復興支援のために作った「日待ち梅」の販売も継続して4年半です。新年に入ってからも大勢の方にお買い求めいただきました。本当にありがとうございます。3.11以降も国内では各所で自然災害が起こっていますが、東北の復興はまだまだです。あれから何回か神社関係の参拝旅行などで岩手や宮城・福島へ赴きましたが、津波で何もなくなった海岸部の景色が当然のことながら新しい建物が並んでいるのを見るにつけて、長い営みの歴史も一変させられてしまったというもの悲しさが感じられます。微力ですが気持ちの中で風化させずに関わっていきたいと思います。
境内の梅は次々にちらほらとほころびはじめています。日待ち梅が紫外線を浴びて変色すると早咲きの鹿児島紅の赤に近いですね。id-249370999id-249370245

日待ち梅

東日本大震災からもうすぐ4年。復興支援のためにせめてもと始めた義援金集め。紫外線で変色する素材で作った梅のストラップ。4年近く経過した今も時折買いにおいでになってくれる方がいます。ありがたいことです。
作った当時はネーミングにも苦労しました。「変わり梅」とか、紫外線を知らせるから「女性の味方、美肌梅」とか。でも復興のためという気持ちから、「復興の日を心待ちにする」を略して「日待ち梅」としました。
本体のデザインは当社の社紋である加賀梅にして、以前巫女のアルバイトだった娘がジュエリーデザイナーをしていたので、まず銀で型を作ってもらい、そういった仕事をしている知人に送り、中国やタイなどで安価で作ってくれるところを探してもらいました。この過程で少し学びました。それは価格やロットの折り合いがつかずに、結果は日本国内で作ることになったのですが、私の心中に中国に対する嫌悪感のようなものがあって、多少高くても国産が良いと判断した自分の思慮の浅さでした。中国では国産の半値以下でできるのですがロットは2万個以上。国産は2000個で作れました。ただし原価は倍以上。義援金集めで品物を作って売るということの小さなリスクとは、全く売れなかった場合の損金は〇十万円。仮に現実的に売れなかったなら、どうせ損するんだったらその〇十万円を義援金にしたらよかった、と後悔したくありません。反対に完売すればその3倍程度の義援金を送ることができるのですが・・・。
もう一つ学んだのは、震災の時に反日運動が盛り上がっていると報道されていた中国や韓国の町に、「日本がんばれ」といったような横断幕があちこちに掲げられ、街灯で募金活動も行われていたこと、これらを後々知ったことでした。敵対し、一括りに考え、いわば国内の報道に半ば洗脳されているのは自分ではないかと気づきました。実際に、日待ち梅を買ってくれた人の中には中国の留学生などもいました。反省です。
さて、肝心の復興はというと、進んではいるものの、解決し得ない住宅問題や帰郷、被災者の未来、核のゴミ等々、「未曾有」という言葉に国や人間の限界が見えるような気もします。とにかく、復興の規範となるような出来る限りより良い結果に近づくよう祈るばかりです。
日待ち梅は完売するまで続け、またそのあとの策も考え中です。R0014279 R0014304

震災支援金を送金

御礼とご報告

これまで竹炭製品とオリジナルの日待ち梅を販売してまいりましたが、
震災より3年目を迎え、節目の日として
売り上げ金30万円を本日陸前高田市へ現金書留で送金いたしました。
皆様のご協力に深く感謝申し上げますと共に、
日待ち梅の販売継続、また新たな企画も考えつつ
支援の心が風化しないよう努力していきますので、
今後ともよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m