世間が桜の開花情報を気にしはじめる頃になりましたね。境内の梅もいよいよ終盤。あれほどにぎやかだった豊後も散り始め、それと共にカメラマンも少なくなっています。それでも一番遅咲きの楊貴妃は、まるで 「私だけを見て」と言っているように咲いています。
「花」カテゴリーアーカイブ
梅便り3/14
梅便り3/12
梅便り3/9
梅便り3/4
梅便り2/27
山茱萸(さんしゅゆ)
梅便り2/24
日待ち梅
東日本大震災からもうすぐ4年。復興支援のためにせめてもと始めた義援金集め。紫外線で変色する素材で作った梅のストラップ。4年近く経過した今も時折買いにおいでになってくれる方がいます。ありがたいことです。
作った当時はネーミングにも苦労しました。「変わり梅」とか、紫外線を知らせるから「女性の味方、美肌梅」とか。でも復興のためという気持ちから、「復興の日を心待ちにする」を略して「日待ち梅」としました。
本体のデザインは当社の社紋である加賀梅にして、以前巫女のアルバイトだった娘がジュエリーデザイナーをしていたので、まず銀で型を作ってもらい、そういった仕事をしている知人に送り、中国やタイなどで安価で作ってくれるところを探してもらいました。この過程で少し学びました。それは価格やロットの折り合いがつかずに、結果は日本国内で作ることになったのですが、私の心中に中国に対する嫌悪感のようなものがあって、多少高くても国産が良いと判断した自分の思慮の浅さでした。中国では国産の半値以下でできるのですがロットは2万個以上。国産は2000個で作れました。ただし原価は倍以上。義援金集めで品物を作って売るということの小さなリスクとは、全く売れなかった場合の損金は〇十万円。仮に現実的に売れなかったなら、どうせ損するんだったらその〇十万円を義援金にしたらよかった、と後悔したくありません。反対に完売すればその3倍程度の義援金を送ることができるのですが・・・。
もう一つ学んだのは、震災の時に反日運動が盛り上がっていると報道されていた中国や韓国の町に、「日本がんばれ」といったような横断幕があちこちに掲げられ、街灯で募金活動も行われていたこと、これらを後々知ったことでした。敵対し、一括りに考え、いわば国内の報道に半ば洗脳されているのは自分ではないかと気づきました。実際に、日待ち梅を買ってくれた人の中には中国の留学生などもいました。反省です。
さて、肝心の復興はというと、進んではいるものの、解決し得ない住宅問題や帰郷、被災者の未来、核のゴミ等々、「未曾有」という言葉に国や人間の限界が見えるような気もします。とにかく、復興の規範となるような出来る限りより良い結果に近づくよう祈るばかりです。
日待ち梅は完売するまで続け、またそのあとの策も考え中です。
梅便り2/22
春一番の話も聞かれるようになり、梅の枝をせわしなく異動して蜜をついばむメジロも心なしか機敏になってきたように見えます。神符授与所前の思いのままは5分先を過ぎたあたりでしょうか。毎日のように梅を楽しみに参拝される方がおいでになります。皆さん、さぞ首が疲れるのではないでしょうか。当社境内の梅は見上げなければなりません。目の高さで見られる梅はほとんどありません。これは9月の例大祭があるからです。境内の出店は約100店前後。この狭い境内で迷子が出るほどひしめきます。そのため、梅だけでなく、ほとんどの樹木は下枝がありません。出店の天幕がぶつからない高さに合わせています。ミズキ科の山茱萸(さんしゅゆ)も普通なら幹の根本付近から上方向に枝を伸ばす木ですが、下枝をはらい、しかも真上に伸びる枝もカットするため、全体がキノコ型になっていきます。
例大祭は年1回。木々にしたら迷惑かもしれませんが、狭い神社で生きる木々の定めとあきらめてもらうしか。