梅便り 令和8丙午年如月12日

厳しい寒さも少しおさまってきた今日、鳥居脇の「思いのまま」がようやく咲き始めました。この思いのままは品種名で、盆栽などにもなって流通しているようです。おそらく人の手によって品種改良されたものと思われ、毎年結実は見られません。それでも私はわずかな野生の遺伝子によって実がなることを待ち焦がれています。

白い八重の花びらに赤い花びらが混じる程度のものが多い中、一枝に白と赤の花が並びました。

明日は年に一回の稲荷社祭です。2月の初午もしくは二の午で行いますが、この地域では2月3日の節分前の午の日を初午としません。暦にある二の午を初午としています。明日は氏子地域や近隣の稲荷社を1日中何か所か巡って稲荷社祭を奉仕します。

どんど焼き

どんど焼きが始まりました。風の心配はなさそうです。
近年、「どんと祭」と呼んでいる地域もありますが、それは当社同様に境内で行うようになったからかと思います。元々自治会毎の行事だったどんど焼きは、辻と呼ばれる場所で正月飾りだけを燃やす行事でしたが、ことに街部では適した土の場所がなくなり、神社境内で行うことが多くなりました。さらにお札(ふだ)やお守りを暮れの内に納めず、初詣以降に納める方が増えて、どんど焼きはお飾りと神符類が一緒になっています。当社では、新年に納められたものは松明けから役員が交代で納札所に詰めて仕分けをし、本日持参した方のお飾りは中身をチェックして受け取るようにしています。

梅便り 令和8年丙午年睦月14日

本日は午後から恒例のどんど焼きです。以前はケヤキなどの生の枝を伐って、その先に自家製の団子を刺し、親子で肩に担いで歩いてくる光景が見られましたが、今はそんな枝ぶりのケヤキなどはなくなり、ことに当社は町部のため仕方のないことでしょう。米粉の団子を自作する家庭も少なくなりました。
当社では苦肉の策として金属製の「団子焼き専用の棒」を貸し出しています。古き良き風習はなんとか守っていきたいものです。

小梅が見頃になりつつあります。神符授与所前の思いのままもほころび始めました。町田は市長選を控えている最中に、衆院選の話が持ち上がってしまい、選挙戦で賑やかな時期が長くなるわけですから、梅も、その蜜をついばむメジロたちも、選挙運動を聞きながらになるのでしょうか。それでも、一番落ち着かず、最も多忙なのは選挙管理委員会でしょうね。

梅便り 令和七乙巳年皐月二十六日

梅雨前線が蛇行して沖縄より九州の方が早く梅雨入りしたり、五月に猛暑日が記録されたりと、地球の健康状態は依然芳しくないないようです。去年あたりから当社境内の梅、特に加賀系が5月の猛暑日に大量の落果。まだ収穫するには未熟だというのに、おびただしい量が一晩で落ちました。これも異常気象が原因でしょうか。
鳥居の前には箱根空木(ハコネウツギ)が咲いています。箱根空木は箱根だけにあったものではなく全国にあり、偶然箱根にあったから名づけられたらしいです。お墓に植えられたり、お骨拾いの箸に加工される(?)からと、縁起の悪いウツギとされている紅空木(ベニウツギ)がありますが、箱根空木は紅白に咲き分けるので区別できます。また、白い花のヤマウツギは渓谷などで目を惹きますが、梅雨入り前に開花するため梅雨を予感させるような五月の雨で花が濡れ、ヤマウツギがうなだれている様子のことを「卯の花くたし」と云い、この時期の季語になっています。地球環境が変化していく中で、季節を表した日本固有の季語も天気に合致しなくなってしまうのでしょうか。

梅便り 令和七乙巳年如月四日

今年の節分は2月2日でしたね。天気予報は雨か雪と報じていましたが、1回目の豆まき行事午後1時には、奇跡的に天候が回復してくれました。小野川親方(元北大樹関)も駆けつけてくれて賑やかに行うことができました。
今年は全体的に梅の開花は遅め。ようやく参集殿前の思いのまま(当社故実による)が淡いピンクの花を咲かせています。好物の蜜をついばむメジロがせわしく枝を渡るのを眺めると、春はもうすぐと感じます。

梅便り 令和六年如月

令和2年以来の節分祭がにぎやかに執り行われ、気温は低かったものの風がなく、日差しが心地よい好天にも恵まれました。延べ1500人くらいの参拝客で賑わい、豆と共に福を分ける年男年女も張り合いがあったことでしょう。
温暖化、暖冬と騒がれているわりには、節分の二日後に突然の大雪警報。雪に弱い東京圏は、鉄道とバスが止まり、主要道路も通行止めにしたりと大慌て。それを地方出身者が「この程度で」と揶揄する報道をしばしばに耳にしますが、恥ずかしいどころか思慮の浅い発言と笑ってしまいます。頻繁に大雪に見舞われるところと違って、めったに降らない雪のために、大きな予算は立てられないだけのことです。
ただし、困ったことに当社ではまた梅が倒れてしまいました。すでに造園屋さんにお願いしてありますが、嘘のように晴れた空に塒出錦と小梅が咲き誇っている隣には、いつもなら並んでいるはずの月影がなく、幹がねじれて裂け、自立できなくなっています。数年前にも同じように倒れましたが、まだあの時の傷は完治していなかったようです。梅は強いから大丈夫と信じて、また庭師さんに治してもらいます。当社も、雪対策の予算は考えていませんでした。

令和4年文月1日 奉納大注連縄取付け

にわかに猛暑続きの日々、梅雨があったのかなかったのか分からないほどです。コロナの微増傾向に加えて、熱中症でたくさんの人が倒れ、水不足の地域あり、野菜も暑さで生育が悪く、年々日本は、地球はどうなっていくのでしょう。
去る水無月30日に夏越しの大祓へと茅の輪神事を斎行し、いよいよ令和4年も後半に入りました。その節目に社殿前の新しい大注連縄が奉納され、文月1日に取り付けました。この注連縄は当社を厚く信仰する方が匿名で奉納してくださり、今回で2回目です。ありがたいことです。

草木便り 令和4年如月21日

今年の2月10日初午(はつうま)に赤い稲荷鳥居が1基奉納されました。旧暦には日毎に十二支があります。よくご存じのところでは、熊手を売る酉の市。11月の酉の日に開かれる市で、12日に1度行われますから、11月中に2回の年と3回の年があり、酉の日が3回ある年は火事が多いという言い伝えがあります。初午は2月最初の午の日のことで、年に一度のお稲荷様の例祭日です。今年は新しい鳥居を奉納されたヤマギワPCサービスの代表の方も参列してくださり、境内社ですから盛大ではないものの、祭壇にお供え物を揃えて厳粛に禰宜が奉仕致しました。その初午の頃、春の様子をうかがうようにほどけ始めたシナマンサクの花が、今日はすっかりほどけきっていました。鳥居脇の山茱萸(さんしゅゆ)はまだ小さい玉のような蕾から少しだけ顔をのぞかせて春を待っているようです。

立春(旧正月)

ポカポカと温かく、まさに立春が春立つと書くような陽気。昨日は節分祭が賑やかに執り行われ、鬼打ちで厄を祓って清々しい気持ちで今日を迎えた人は少なくないはず。節分の豆まきが一般に流行する以前は、皇室の大晦日に行なわれる追儺の行事でした。やはり災厄を打ち払う意味で行われていましたが、撒いていたのは大豆に限らず穀類であったということです。これが庶民に伝わり手ごろな大豆が定着したということでしょう。もし、元旦も新暦(西洋歴)ではなく旧暦のままであったなら、大晦日に節分行事をして、翌日は初詣と忙しいことになっていたでしょう。明治以前は今日が新年元旦ですから、七草の素材も野で採ることができたのも、旧暦1月7日であったからです。無理やり新暦7日に七草といっても、野はまだ真冬ですから売っているもので間に合わせるしかありません。もう少し旧暦とうまく付き合わないと、日本人の季節感がずれていってしまうように思います。

Exif_JPEG_PICTURE

人間を一旦傍らに置いて考えれば、暦など関係のない草花は淡々と季節の変化に合わせて生きています。日本人の体内時計を草花に合わせていけば、本来の在るべき生き方に戻していけるような気がします。
境内では鹿児島紅と故実の思いのままが見頃です。飛梅も少しほころんできました。
真冬に頑張ってきた蝋梅を引継ぐように、シナマンサクの花がほどけて、ミツマタも外側からポツポツと開き始め、山茱萸(さんしゅゆ)も暖かな陽気に固い蕾を緩めています。

Exif_JPEG_PICTURE

さんしゅゆ

夏越大祓への準備 茅の輪作り

平成30年も折り返しまでわずかとなりました。皆様半年間如何でしたでしょうか。大阪で不自由な暮らしをしている皆様には、一日も早く平穏な暮らしが戻りますようお祈り申し上げます。
町田天満宮では本日氏子総代が奉仕して夏越大祓へに向けて茅の輪作りが行われました。本儀は半年分の罪や穢れを祓う行事として斎行されるものですが、元旦やお彼岸、お盆、季節、また誕生日などは節目としての役割もあります。人間は生活に節目がないと生きられません。一年の節目もなく、季節も記念日もなく、同じ毎日を過ごしていたらどうでしょう。夏越大祓へは半年の大切な節目です。

DSC_1711

それぞれに年の後半に向けて気持ちを切り替えたり引き締めたり、前半の反省や更なる勢いをつけるため、病気をした人は後半に向け体に留意し、健康で過ごせた人は気を緩めず、様々に思いを廻らせて茅の輪をくぐっていただけたらと思います。本番は30日の午後5時より斎行いたします。既に人形(ひとがた)の入っている型代をお分けしておりますので、紙製の人形に名前を書いて、息を吹きかけて初穂料(規定額無し)と共に袋に入れて当日までにお持ちいただければ、茅の輪くぐりに続きお焚き上げを致します。