梅便り3/21

豊後の花吹雪を見R0011818R0011877下ろすように、当社境内では一番遅咲きの「楊貴妃」が咲き始めています。もう来週には世間の話題は桜一色ではないでしょうか。

ご報告

竹炭製品と日待ち梅の収益合計30万円を陸前高田市へ送金致しましたところ、戸羽市長の御礼状が添えられて寄付金領収書が届きましたのでご報告いたします。
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梅便り3/11

旧社殿前の飛梅が見頃です。豊後系の労謙もボリュームのある花が押し合いへし合い咲き始めて、いよいよ梅見も後半です。当社で最も遅咲きの紅梅「楊貴妃」が咲くと、桜にバトンタッチです。ちなみに当社に桜はございません。R0011812

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震災支援金を送金

御礼とご報告

これまで竹炭製品とオリジナルの日待ち梅を販売してまいりましたが、
震災より3年目を迎え、節目の日として
売り上げ金30万円を本日陸前高田市へ現金書留で送金いたしました。
皆様のご協力に深く感謝申し上げますと共に、
日待ち梅の販売継続、また新たな企画も考えつつ
支援の心が風化しないよう努力していきますので、
今後ともよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m

梅便り3/5③

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手水舎後ろの塒出の錦(とやでのにしき)は満開です。R0011773R0011774

梅便り3/5②

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白加賀が8分咲き、鳥居前や出世稲荷社前の労謙(豊後系)が開き始めました。
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梅便り3/5①

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摂社旧社殿前の飛梅(とびうめ)が見頃です。
都の私邸の庭に植えられていた梅を菅公はとても愛されておりました。
世は時すでに武家社会へと変貌しようとしていた時代、
左大臣藤原時平の讒言により天皇の誤解を受け、延喜元年(901年)に大宰府の地へ左遷されてしまいます。私邸を跡にする折、愛した梅に詠んだ詩が「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」です。「春になり東風が吹いたなら、私の赴く大宰府の地まで都の香りを届けておくれ。」と、天皇を恨むことなく、常に政治の行く末を案じている道真公らしい詩です。
その梅はやがて、主を慕って一夜にして大宰府の地へ飛び移ったと伝えられます。今も大宰府天満宮の社殿前にあり、毎年花を咲かせて道真公の御霊を慰めております。
当社の飛梅は接ぎ木という分け方によって大宰府から北野天満宮へ分けられ、北野からいただいてきたものです。
通常梅は野梅の台木に接ぎ木をして株を分けていきます。発芽率は低いものの、種からも増やすことはできますが、おそらくバラ科は花粉による交配がしやすいため、種(たね)による実生は種(しゅ)の保存に適さないのだと思われます。当社でも接ぎ木と種によって数株の飛梅の苗を作っていますが、実生の株の花は少し花弁が薄く、開花期も1ヶ月も早く、明らかに受粉によってDNAに変化があったようです。
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梅便り3/1

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夜桜ならぬ夜梅もなかなかどうして。20140228_214149-02