梅便り 令和5年如月12日

巷では様々なニュースが飛び交っています。2万人を超える死者のトルコの大地震、フィリピン入管施設を拠点とした詐欺・窃盗・強盗殺人の組織、マスクを外すか否か、ガーシー議員の懲罰・・・。それに流されているとコロナの分類の件やら、旧統一教会の件やらがフェイドアウトしていくかのようです。私はこれをメディア病と呼びます。日常がリアルタイムの報道に無意識に支配されてしまう傾向のことです。もっと広い目を以て過ごすよう努めていかなくてはいけませんね。
境内の梅が次々と見頃になりつつあります。八重咲で小型の「蝶の羽重ね」が開きました。また、一昨年幹を半分にした「鹿児島紅」も負けじと吹き出したひこばえに濃い赤の花をつけました。本来は早咲きの種類ですが、荒療治で本調子ではないようです。数年先には賑やかな枝ぶりにもどるでしょう。

梅便り 令和5年2月6日

年に一度の稲荷社初午祭(はつうまさい)は立春後の最初の午の日または2回目の午の日(二の午)に斎行されます。近隣の個人商店や百貨店、また会社や個人住宅など、かつては10箇所以上の稲荷社に奉仕していましたが、現在は数か所まで減少しています。それでも小田急百貨店や仲見世商店会などは、関係者が多数参列して行われています。お供え物にも特色があり、通常のお供えにめざしや油揚げや厚揚げが加わります。
某老人ホームではスタッフ数名が参列して、式後には捧げたお供え物を平等に分け合い、神様が残してくれたお下がりを有難くいただきます。私にも神様のお下がり(撤饌)を分けてくれますので、帰社してから早速いただきます。昆布だしをとり、お揚げの味噌汁にし、タマネギとほうれん草はバターを乗せてレンジでチンし、醤油かポン酢で。めざしを焼いて、ありがたいお下がりのフルコース完成です。これで今年も健康でいられるような気がします。
立春とはいえ寒さはまだ厳しい日々ですが、加賀梅は株によっては開き始めています。もう少し、もう少し、もう来るよ、と梅が態度で示してくれているみたいです。

梅便り 其の三 睦月24日

明日はもう初天神。最強寒波が今夜東京にも雪を降らせるかもしれないと、天気予報は注意を呼び掛けています。地球温暖化が進む中、ちゃんと厳しい冬が来ることは安心なのかもしれませんが、わずかな雪でも大混乱する関東沿岸部は、やはり身構えてしまいます。
梅がそろそろ開き始めていますが、まだまだちらほら数えるほどです。やはり見頃になるのは二月中旬頃でしょうか。蜜が大好きなメジロたちも待ち遠しいことでしょう。

謹賀新年 梅便り 令和五年

町田天満宮は好天の穏やかな正月を迎えて、初詣の参拝者はだいぶコロナ前に戻ってまいりました。境内では今年も鳥居の前、階段脇にひっそりと隠れるようにある背の低い梅が暮れの22日に開花し、めでたく「冬至梅」と名付けてもよいのではと思っています。
今年も皆様のご多幸ご健勝を心よりお祈り申し上げます。

令和4年文月1日 奉納大注連縄取付け

にわかに猛暑続きの日々、梅雨があったのかなかったのか分からないほどです。コロナの微増傾向に加えて、熱中症でたくさんの人が倒れ、水不足の地域あり、野菜も暑さで生育が悪く、年々日本は、地球はどうなっていくのでしょう。
去る水無月30日に夏越しの大祓へと茅の輪神事を斎行し、いよいよ令和4年も後半に入りました。その節目に社殿前の新しい大注連縄が奉納され、文月1日に取り付けました。この注連縄は当社を厚く信仰する方が匿名で奉納してくださり、今回で2回目です。ありがたいことです。

草木便り 令和4年弥生16日

梅の楊貴妃とひなあられが満開になる頃、出世稲荷脇の山茱萸(さんしゅゆ)もしたたかに満開。当社境内の山茱萸は本来の樹形とはかなり違います。普通なら根元からてっぺんにかけての幹に枝をたくさん伸ばして天を目指すからイメージとしては図のような形になります。ところが、当社境内の山茱萸はキノコ型です。これには境内ならではの理由があります。九月の例大祭や毎月1日の骨董市など、多くの出店がある境内では、この山茱萸だけでなく、梅も露店の設営に邪魔にならないよう下枝をまめに伐ります。そして上を目指す枝は手入れができなくなるためカットし、横向きの枝を残します。かくして山茱萸は幹から枝を伸ばすのを諦め、キノコ型で生きることになってしまいました。

梅便り 令和4年弥生15日

世間では桜の開花予想が報じられるようになりました。昨日から今日と関東では夏日を記録するような暖

ひなあられ

かな日となり、ここ町田市も24度と汗ばむ陽気に、境内の梅たちもうろたえているのではないでしょうか。
当社境内の梅は一番遅咲きのひなあられと楊貴妃が開花しました。

梅便り 令和4年弥生11日

東日本の大震災から11年、当社では当初支援のための物品販売として、陸前高田市で被災を免れた炭焼き釜で竹炭を作る仙人のような方(紹介者の知人いわく)と繋がり、仙人が焼いた竹炭を岩手の内陸の方々が置物などに加工したものを送ってもらい、社頭で販売。売り上げを被災地の災害対策課へ送りました。その後、悲しいことに竹炭の原材料となる現地の竹炭が汚染物質を吸収してしまうことが判明して中断。汚染された土で翌年に育つ新しい竹は使用できなくなってしまいました。
そこで考案したのが「日待ち梅」でした。宝飾品のデザイナーをしている巫女のOBにより当社の社紋を銀

豊後系勞謙

で製作してもらい、パッケージデザインなどを職員と話し合い、紫外線で変色するビーズ玉を加工する業者を見つけ、販売開始から7年ほど経過。最初の2000個(最低ロット)は順調に売れて、60万円を送金することができました。しかし、国内では次々に自然災害が起こります。熊本地震、九州・四国の豪雨など支援を必要とするところは目白押し。当然です。災害列島という宿命を背負う日本ですから。メディアは新しいニュースを次々に報じます。そして淡々と着実に、苦しみなが

満月枝垂れ

らも復興に向けて歩を進める現地は報じられなくなり、それと共に支援のエネルギーも分散と風化が進んでしまうのも仕方のないことかもしれません。ましてや現在進行形でウクライナの国民が殺害されています。ここまでぶれずに販売してきた私の気持ちさえ揺れています。
2回目の2000個も少しずつですが売れています。11年という節目の今日、日本のみならず世界の平和を祈りつつ、自分にできる範囲でやっていこうと気持ちを修正しています。
愈々桜を予感させる色の豊後系が咲き、社殿脇の「満月枝垂れ」も降るような花をつけて賑やかになってきました。残すは「ひなあられ」と「楊貴妃」のみ。今年は全体的に梅が遅れたので、ソメイヨシノの開花とかぶるかもしれません。