節分間近です

いよいよ節分祭、春近し

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 念頭とされる期間もいよいよ節分で一区切りです。節分祭に向けての準備も整ってきました。福を招き鬼(災い)を追い払うのはご存知だと思います。節分祭の意味はその他にもあります。子年の年男年女はそれだけで福を持っていると言われ、大勢の人たちにその福を蒔く豆と共に分け与えるのも節分祭です。

 神社で行う節分祭では「鬼は外」と言いません。そりゃそうでしょ。神聖な御神域に鬼などいるわけがありません。神社にいらっしゃるのは神様だけですから。

さてさて、年男年女が蒔く当りクジ入りの豆も準備が進んでいます。当るのはお米や醤油、サラダ油などの他に、ラップや日用雑貨、菓子などが入った福袋です。当っても「使わないなー」というような物が入っていたとしても、福豆を拾えたオマケだと思えば、それはそれで楽しいではありませんか。 豆は年齢プラス1個の数だけ食べると、また1年健康に過ごせると言われます。では3個なら3年健康? (-_-;)まさかね。欲張るとろくなことがありません。1年ずつ着実に生きなさいということですね。私は、豆の袋詰め作業を覗いては、もう年の数の3倍くらい食べてしまい、もう当分いらないかなと・・・(^.^;。

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節分とは本来、立春、立夏、立秋、立冬の前日を示し、季節の節目として4回あります。その中で、新年最初の節分2月3日だけがクローズアップされてきました。災いを追い払う行事としては、室町時代に宮中で行われていた「追儺祭(ついなさい)」や「鬼追い(おにやらい)」が民間に伝わって流行、慣習として定着したものです。では。なぜ豆なのか。果実や穀物には霊力があるとされていて、神前に捧げた豆を蒔くことにより、霊力の備わった豆が災いを追い払うのに最適だとしたものと思われます。 ヒイラギにイワシの頭をつけて飾るのも、イワシの臭気で邪悪なものを防ぐ意味があると思われます。ドラキュラにニンニクというのもありますから、原初的な信仰は、国を違えても似ているところはあるようです。

七五三シーズンもいよいよ終わりです

今年はどうしたことでしょうか。例年ですと本来の七五三詣の日である15日を境にして、前半は8割、後半はいつも2割程度の参拝数になるのですが、今年は15日過ぎが多いんです。社会情勢などがいろいろ影響しているのでしょうか。

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人の心理とは面白いもので、15日過ぎにしか予定がとれない方が電話で問い合わせしてまいりますと、やはり「お祝い事は早めに」という習慣は知っていて、問い合わせ口調もおそるおそる。当社は特に期限も設けておらず、毎日受け付けていますからいいのですが、いざ15日過ぎの土日などに参拝してみると、今年は特に大勢いらしてますから、おそるおそる問い合わせた方もホットと安心するのでしょうか。いやいや、安心されるだけならよいのですが、「過ぎてもいいんだ」というようには考えていただきたくないですね。本来15日だけの行事だったものが、今は10月初旬から11月15日前後にまで期間が広がり、さらに12月にまで広がったなら・・・。

まー、確かに、すでに本来の日を知らない若夫婦もちらほらおりますから、ここはひとつ、なんらかの働きかけが必要な時期なのかもしれません。日本の良き習慣を守る何かが。

梅の収穫が終わりました

梅、今年は不作

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 今年も梅の収穫が行われました。特に梅干や梅酒が目的ではないので、綺麗な実ができるような努力はしていませんから、木によっては虫の被害が顕著な実もあります。収穫された梅はほとんど、近所や役員さんなどに配ってしまいます。

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我々にとっては、とにかく中途半端に収穫されると困るんです。採り残された実は熟してビワのような色って落下。これを毎日掃除するのが大変です。

春祭り 飯綱山王祭

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5月20日(日)

町田天満宮の春祭り 飯綱山王祭

 当社の春祭りのコンセブトはズバリめざせ村祭り。4月と6月の祭りを統合して行うようになってから、まだ10年も経っていないので、なかなか地域の意識の中に定着していませんが、地元のさまざまな団体の参加による催しをすし詰めにしています。

誠斬会による居合斬り。おじさんバンド「パパロック」のベンチャーズバンドは、みんな寺内タケシばりのキラキラスーツ。小さなコカリナという笛での心暖まる演奏は町田コカリナ合奏団。劇団ノルテブンチャカバンドは、戦前戦後の町田の歴史を楽しい演奏と歌で。ハワイの物語をフラダンスで語る地元のケアカラーニア町田教室。賑やかにポップに若さをダンスにぶつけるTALIA.FUNCTION。われらが町田出身の歌手今西亜美ちゃんの力強い歌声。そして締めは各流派による新舞踊。

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御用とお急ぎでなければ、ちょっと寄ってみてください。夜店も10軒くらい出ます。

サンシュユ見頃

山茱萸(さんしゅゆ)が見頃です

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ご参拝の方が、しばしば山椒と間違える名前ですが、「庭のサンショの・・・」の山椒ではありません。ミズキ科です。当社境内には1本しかありません。本来は根元付近からも枝がたくさん伸びて、生垣にできるような木ですが、当社の山茱萸はテラスのようになっています。

それはどういうことか?!

と申しますと、たくさんある梅も同様なのですが、神社と言えばお祭り。お祭りと言えば露店。秋祭りには150店あまりが境内を埋め尽くします。その露店の屋根に邪魔になってはまずいので、とりあえず下枝は取り去られます。さらに、山茱萸は本来、上へ上へと伸びる木なので春あたりから盛んに新芽が空を目指します。しかし、神主は所詮神主。造園屋さんみたいな道具もありませんから、あんまり高くなられても手入れができません。というわけで上に伸びる枝もカット。かくしてテラス型に。

見ごろの梅

飛梅が見ごろです。

ご祭神縁の飛梅ですが、社殿と参集殿に挟まれて
生育には適しているとは言えない。
現在移植を検討中

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いよいよ遅咲きの労謙(豊後系)がほころびはじめた。
これが満開になると賑やか。鳥居の手前にあって、
参拝者を真っ先に出迎える。

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実生の飛梅(とびうめ)開花

実生の飛梅が開花しました。

 何年前に発芽したのか、いや、正確にわかるはずもありません。発芽していたものを大切に鉢植えで育ててきたのですから。

飛梅(とびうめ)ってなんでしょう? 梅の品種名ではありません。

当社のご祭神菅原道真公は京で政事に携っている頃、私邸の庭の梅を愛しておりました。京を離れて大宰府の地へ向かうことになったおりにも、「私は遠い大宰府の地へ行くけれども、春の東風が吹いたなら、愛しい香りと共に都の様子を伝えておくれ」という意味の詩を詠みました。その後、大宰府へ赴任した主を慕った梅は、一夜にして道真公のもとへ飛び移りました。今も大宰府天満宮の社殿前で大切に育てられています。

 さて、その伝説の飛梅ですが、八重咲きの白梅で実をたくさんつけず、実生がむずかしいので接ぎ木という方法で日本各所の菅原道真公をお祀りする神社に分けられてきました。当社でも北野天満宮よりいただいて、社殿脇で毎年花を咲かせて菅公の御霊をお慰めしています。

当社でも挿し木や野梅との接ぎ木など、毎年試みておりますが、なかなか花をつけるまでにはなっておりません。ところが、この実生の飛梅は見事に二輪の花を咲かせてくれました。

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