梅便り 令和2年1月30日

久しぶりの投稿です。
昨年の台風15号、19号では、各地に甚大な被害があり、
あの頃から地球規模の異常気象が体感するように顕著になってきたように思います。
秋冬が変に温かく、伊豆や千葉、群馬などでは、昨年のこぼれ種で
向日葵が咲き、水仙や菜花と一緒に咲き揃ってしまうという事態になっています。
当社でも日本水仙の株の近くでカワラナデシコが咲いてしまうという奇妙な景色があります。経済成長を追いかけてきて、見過ごし、いや無視してきた結果、
次世代に残すべき日本の自然や四季の巡りをきちんとしておけなかったということでしょう。
さて、今年の梅便りは例年と全く違います。
私自身が戸惑うほどに、品種によって咲き始める順番が
これまで積み上げてきたデータを無視したものになっています。
正月の暖かさが梅の蕾に春を嘯(うそぶ)いた結果、
まだどれも1分か2分咲きですが、特に遅い種類を除いては
一斉に咲きほころんできてしまいました。
こんなことは初めてです。

上の左から、鹿児島紅、飛梅亜種「薄羽睦月」、冬至梅系加賀
下段左から、白加賀、小梅、思いのまま(鶯宿)

即位礼に伴う奉祝祭を斎行

台風15号、19号と日本の各所が風水害で被災した10月。上皇陛下や天皇陛下も御心を痛められ、被災地の救援を最優先と考えるという政府のたてまえのもと、変更出来得る範囲で本日の奉祝パレードが延期されたが、不幸に見舞わられた多くの国民がいる中で、国民向けの華美な奉祝行事を控えることは陛下の御心にそぐわないとして予め当然のこととして定められていたのだと思う。
令和元年10月22日、私が宮司という立場で即位礼の奉祝祭を町田天満宮社殿で斎行するのは、これが最初で最後と考える。神饌はなるべく国内被災地の産物や町田市内の農作物、また果物は季節の物にこだわり量より質を重視。海産物の器は伊勢神宮の饗膳で賜った未使用の土器(かわらけ)。祝詞の中の神饌に関する文章はこれらに合わせた。
午前9時斎行。浄衣にて2名奉仕。氏子総代礼服に白ネクタイで参列し、滞りなく式は完了。終了後、別室にて撤下した海産物と神酒で質素に直会。人知れずとも粛々と斎行叶ったことに感謝。

梅便り 平成31己亥歳弥生11日

久しぶりにまとまった雨が降り、花粉も少しは落ち着いてくれたのでしょうか。
境内の梅はいよいよ終盤。楊貴妃が波打ち八重の花弁を開き始めました。

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梅ではありませんが、山茱萸も満開です。ひとつひとつは小さな花なので、近くで見ないと満開かどうか判断が難しいのですが・・・。

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桜にバトンタッチするのも間近です。

梅便り 平成31己亥歳如月26日

いよいよ暖かな日が多くなり、当社の梅も豊後系がほころび始めています。出世稲荷社前には鳥居を挟んで梅と山茱萸が、大鳥居脇の思いのままはいくつか赤花が混じっています。手水舎裏の白加賀と塒出錦は紅白賑やかに重なり合い、旧社殿前の飛梅、社殿脇の満月枝垂れも見頃です。梅の時期も後半になってきました。

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梅便り 平成31己亥歳如月廿日

今日はポカポカ陽気。境内の梅の蜜をついばむメジロたちも忙しそうです。月影と塒出錦が紅白に交わり、すでに思いのまま(一社の故実による)は花吹雪。競うように出世稲荷社前の山茱萸(さんしゅゆ)がほころび始めました。

月影と塒出錦

思いのまま(故実)

山茱萸

山茱萸

梅便り 平成31己亥如月13日

飛梅、塒出錦、月影がほころんできました。一番好きな青軸系緑咢の月影は、数年前に大雪で幹が折れて以来、少しずつ樹勢は回復しつつあるも、まだ花は小さ目です。

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立春(旧正月)

ポカポカと温かく、まさに立春が春立つと書くような陽気。昨日は節分祭が賑やかに執り行われ、鬼打ちで厄を祓って清々しい気持ちで今日を迎えた人は少なくないはず。節分の豆まきが一般に流行する以前は、皇室の大晦日に行なわれる追儺の行事でした。やはり災厄を打ち払う意味で行われていましたが、撒いていたのは大豆に限らず穀類であったということです。これが庶民に伝わり手ごろな大豆が定着したということでしょう。もし、元旦も新暦(西洋歴)ではなく旧暦のままであったなら、大晦日に節分行事をして、翌日は初詣と忙しいことになっていたでしょう。明治以前は今日が新年元旦ですから、七草の素材も野で採ることができたのも、旧暦1月7日であったからです。無理やり新暦7日に七草といっても、野はまだ真冬ですから売っているもので間に合わせるしかありません。もう少し旧暦とうまく付き合わないと、日本人の季節感がずれていってしまうように思います。

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人間を一旦傍らに置いて考えれば、暦など関係のない草花は淡々と季節の変化に合わせて生きています。日本人の体内時計を草花に合わせていけば、本来の在るべき生き方に戻していけるような気がします。
境内では鹿児島紅と故実の思いのままが見頃です。飛梅も少しほころんできました。
真冬に頑張ってきた蝋梅を引継ぐように、シナマンサクの花がほどけて、ミツマタも外側からポツポツと開き始め、山茱萸(さんしゅゆ)も暖かな陽気に固い蕾を緩めています。

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さんしゅゆ

春は足早に

境内の梅もいよいよほころんでくるかと待ちわびていた先月末のこと、不覚にも流行り病に侵されてしまいました。宮司がタミフル飲みながら約1週間の軟禁状態でも、年頭の神社行事は淡々と行

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われていきます。今回は4名しかいない神職が私を含め2名インフルエンザにやられるという非常事態でした。太子講例祭と初天神祭を奉仕できなかったのは初めてのことです。

待ちわびていた梅たちも私が熱と闘っている間に次々と開花。時間が止まっていたのは私だけでした。2月に入り暖かな日が続いて、今日は初午。初午はお稲荷さんの年1回の例祭日です。毎年、初午と12日後の二の午には、件数こそ減ったものの数社のお稲荷さんを廻ります。林の中に佇む社もあれば、建物の屋上やベ

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ランダに鎮座する稲荷社もあります。例年、午前9時に当社境内の出世稲荷社を奉仕してから、会社や個人宅の稲荷社の奉仕に出掛けますが、今年は日の巡りで特に初午が早かったため、14日の二の午に集中しています。

タウンニュース掲載コラム 其の17 カラスウリ

ホバリングするものと言えばヘリコプターやドローンが思い浮かぶが、操縦ミスで事故続きのオスプレイや、ジェット戦闘機のハリアーもそうだ。ホバリングを訳すと飛行定位であろうか。つまり浮かんで動かない状態を指す。人間が身体一つでできるのは水中での定位だけだが、これもかなりの技術を要する。鳥類には長時間ホバリングできる種類がいる。例えばハチドリ、カワセミやヤマセミ。カワセミは獲物を狙う時にホバリングして狙いを定め、一気に急降下する。時には自分の羽根を水面に落とし、虫と間違えて水面に浮上してきた魚を仕留める芸当もするらしい。

今年の夏は長そうだ。湿度も高く、蒸し暑い上によく降る。台風も次々にやってきて、台風一過ならぬ台風一家のようだ。そんな夏の夜、夜の貴婦人と勝手に呼んでいる花が境内の片隅で咲いている。小野路の林で実を採ってきて種まきし、5年経ってようやく咲いたカラスウリの花だ。何故カラスなのかわからないが、とかく植物にはカラスやスズメが名前に登場する。カラスノエンドウ、カラスビシャク、スズメガヤ、スズメノテッポウなど。カラスウリの花は夜しか咲かない。鳥が種を運び、しばしば生垣などに絡んでいるのを見かけるが、葉の色は鈍く見栄えがしない上に繁茂すると手に負えないから、大抵駆除されてしまうようだ。また、もっと月明りに映えるような花びらにすれば良いものをほとんどがレースのように網状になっているから、直径5センチ程度の花は、暗がりで咲いていると肉眼では見つけ辛いほど。それでも、夜に散歩をすればどこかしらに見つけられるくらいポピュラーだ。撮影していてふと疑問に思った。「このレースを纏った貴婦人が誘っているのはどんな虫なんだろう」と。さっそく調べてみると、なんと私の好きなスズメガの仲間たち。幼虫が成長に従って模様を変えていくのも面白い。写真左上は模様がコミカルなセスジスズメの若い幼虫で、虫が苦手という方のために敢えて終齢幼虫は避けた。成虫の中ではウンモンスズメ(写真左下)が素晴らしいと思う。先祖から引き継いだ自分の姿を鏡で見たことはあるのだろうか。中でもスズメガ科のホウジャクの仲間はハチドリに酷似している。カラスウリの蜜は花の柄のかなり奥にあり、まだ目撃はしていないが蜜を吸う様子が目に浮かぶようだ。近くにあるクチナシに毎年ホウジャク亜科のオオスカシバの幼虫がいるから、きっと成虫がカラスウリの吸蜜に来ているにちがいない。写真に収めたいと思うが、いつ飛来するかわからないスズメガを待って、灯もつけずに暗がりでじっとカラスウリを凝視し続けるのはきつい。そして怪しい。更に藪蚊とのバトルだ。確実に負ける。

とりあえず、この貴婦人のお相手が判明してひと安心。たとえ目につかなくても地道で逞しい営みを続ける草木があって、さらに虫というパートナーもいる。葉を食べさせる草があって、花に誘われて蜜をご馳走になるかわりに、まんまと受粉作業を手伝わされる虫がいる。受粉して実をつければ鳥が食べて種を落とし発芽する。この絶妙なサイクルに人間は手出しをしてはいけないと思う。自然を労わり、思いやり、うまく付き合っていく。人間社会の付き合いもそうありたいと望むように、自然とのつきあいも同じでありたい。日々のせわしなさに流されてしまう自分を時折もう一人の自分に眺めさせ、身の回りが騒がしいときは、人も心をホバリングさせて、時間や景色をドローンのように見渡してみることも大切かもしれない。人も草木も虫も地球上の生物で、大小に関係なく命は一つしか持ち合わせず、生まれたからには死亡率は100%。どう共存するか考えてみるのも良いことだし、そんな時間がリラクゼーションにもなる。

ウィキペディアで調べるのも考えものだ。たくさん花をつけるのが雄株だということも分かってしまい、つまり貴婦人と呼んでいたのにオスだった。なんてことだ。