元旦の雪には驚かされましたが、例年2月頭あたりにたくさん降ることがあります。この辺りは10センチも積もれば情けないほど大騒ぎです。でも、早くも春を予告するように、ロウバイ、水仙、シナマンサクが咲いています。
「草木」カテゴリーアーカイブ
梅便り4/10
楠木の落葉が始まり、毎日竹箒で格闘しています。1日に90ℓの袋で何個も貯まるため、そろそろ市の収集に出すのは限界で、リサイクルセンターへの持ち込みになりそうです。
今年は梅の株によっては大雪の被害を受けて、実の成りが極端に少ない木もありますが、小梅はたくさん結実しています。瑞々しい若葉と膨らみはじめた実のコントラストが春を感じさせてくれます。
吹き溜まりの石灯籠の足元に今年も小さな強者が咲いています。箒でなでられたくらいでは傷つかない姫スミレです。近くにはもうアミガサダケが顔を出していました。変な石ではありません。フランス料理ではモリーユと呼ばれ、ポルチーニ茸と共に使わるキノコです。加熱すると弾力が出て口当たりがよく、味も良いです。おそらく日本では、大きくなる前にナメクジやハサミムシなどに食べられてしまうし、見た目の悪さからメジャーにならなかったキノコなのでしょう。
楠木の落葉
いよいよ楠の落葉が始まっってしまいました。 楠木は大宰府天満宮に倣って植樹され、成長がすこぶる早く、たった40年で境内で一番の巨木になっています。常緑樹だから落葉というより生え変わり。 若葉が古い葉を引退させる感じです。5月が落葉の最盛期です。 今日の風はやや強め。 参道を掃き清めて、春風の中振り向けば・・・・(☆o☆)
ここで川柳をば 「掃き掃除 春風吹いて 元通り」 涙(T_T)です。
梅便り3/21
梅便り3/11
梅便り3/5③
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梅便り3/5②
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梅便り3/5①
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摂社旧社殿前の飛梅(とびうめ)が見頃です。
都の私邸の庭に植えられていた梅を菅公はとても愛されておりました。
世は時すでに武家社会へと変貌しようとしていた時代、
左大臣藤原時平の讒言により天皇の誤解を受け、延喜元年(901年)に大宰府の地へ左遷されてしまいます。私邸を跡にする折、愛した梅に詠んだ詩が「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」です。「春になり東風が吹いたなら、私の赴く大宰府の地まで都の香りを届けておくれ。」と、天皇を恨むことなく、常に政治の行く末を案じている道真公らしい詩です。
その梅はやがて、主を慕って一夜にして大宰府の地へ飛び移ったと伝えられます。今も大宰府天満宮の社殿前にあり、毎年花を咲かせて道真公の御霊を慰めております。
当社の飛梅は接ぎ木という分け方によって大宰府から北野天満宮へ分けられ、北野からいただいてきたものです。
通常梅は野梅の台木に接ぎ木をして株を分けていきます。発芽率は低いものの、種からも増やすことはできますが、おそらくバラ科は花粉による交配がしやすいため、種(たね)による実生は種(しゅ)の保存に適さないのだと思われます。当社でも接ぎ木と種によって数株の飛梅の苗を作っていますが、実生の株の花は少し花弁が薄く、開花期も1ヶ月も早く、明らかに受粉によってDNAに変化があったようです。