境内では遅咲きの梅も終わり、世間は桜にバトンタッチです。3・11も9年目を迎えて、各所で追悼行事が粛々と行われるはずが、もはや地球規模にまで拡大している新型コロナウイルスの影響で、縮小して開催されました。当社でも手水舎の柄杓や鈴緒など、不特定多数の人が触れる物は撤去させていただきました。手水舎は柄杓を使わずに手前で手が洗えるよう改良しました。俗にお祓いと呼ばれる社殿内での祈願は半減していますが、境内に散歩がてら訪れる家族連れなどは以前より増えているようです。やはり広さがあって風通しが良い場所ですから、自粛ムードで溜まったストレスを癒すのには良い場所と言えるのでしょう。
本日、4年ぶりにNHK仙台放送の田辺さんが取材に訪れました。当社では震災以来、復興支援金作りとして「日待ち梅」の販売を続けています。かれこれ100万円ほど陸前高田市へ送れました。それでも売れ行きは次第に落ちています。震災後、災害列島と言われるほど国内では自然災害が相次ぎました。人情として直近の災害に心が向くのは当然のことかと思いますが、日待ち梅を始めた当初に「決してぶれない」と心に言い聞かせたことが大きいのかもしれません。そもそも、風化という言葉が好きではありませんから。今回の田辺さんの訪問が気持ちを引き締めてくれたように感じました。
オリンピックは来年以降に延期される雰囲気です。今は各アスリートも競技人生より命優先です。もし来年であれば、あくまでも希望的観測になりますが、新型コロナウイルスが終息していて、暖かい春を迎えて、震災より10年目となり、自粛により溜まっていたストレスや経済の再建、そしてオリンピックの夏が来て、文字通り「復興五輪」で国民が湧き上がる力強い年を迎えられるのではないでしょうか。終息が見えない今、必ずそうなると言えないのが悔しく、苛立たしくてなりませんが。
さて、皆さんも分かっていることを文字にしてみます。当社では5月第3日曜日に飯綱山王祭という恒例祭があります。式典の後、神楽殿で歌やダンス、バンド、和太鼓などを夕方まで賑やかに行います。今回、コロナの対策として神楽殿の催しと境内の出店を全て取り止め、少人数による式典のみに縮小いたしました。言うまでもなくクラスターの危険性を作らないためです。催し物を通常通りに強行するとはどういうことか考えました。集まる不特定多数の人の中に、未発症の感染者がいる可能性があるとすると、そこから高齢者や持病のある人に感染する可能性が生まれるということで、そして重症化して死亡する可能性があります。つまり、大勢の人が集まる機会を作る主催者は、間接的に人を殺してしまう可能性を故意に大きくしてしまうということになります。私は、その間接的殺人の首謀者になりたくない。人類の平和と幸せを願う宗教人が、そんなリスクを作り出してよいわけがありません。そう思っただけです。
皆さん、頑張りましょう。ワクチンも薬もできて、来年は今年の反動もあってきっと良い年になると信じて。
令和2年節分祭
梅便り 令和2年1月30日
久しぶりの投稿です。
昨年の台風15号、19号では、各地に甚大な被害があり、
あの頃から地球規模の異常気象が体感するように顕著になってきたように思います。
秋冬が変に温かく、伊豆や千葉、群馬などでは、昨年のこぼれ種で
向日葵が咲き、水仙や菜花と一緒に咲き揃ってしまうという事態になっています。
当社でも日本水仙の株の近くでカワラナデシコが咲いてしまうという奇妙な景色があります。経済成長を追いかけてきて、見過ごし、いや無視してきた結果、
次世代に残すべき日本の自然や四季の巡りをきちんとしておけなかったということでしょう。
さて、今年の梅便りは例年と全く違います。
私自身が戸惑うほどに、品種によって咲き始める順番が
これまで積み上げてきたデータを無視したものになっています。
正月の暖かさが梅の蕾に春を嘯(うそぶ)いた結果、
まだどれも1分か2分咲きですが、特に遅い種類を除いては
一斉に咲きほころんできてしまいました。
こんなことは初めてです。
謹賀新年
即位礼に伴う奉祝祭を斎行
台風15号、19号と日本の各所が風水害で被災した10月。上皇陛下や天皇陛下も御心を痛められ、被災地の救援を最優先と考えるという政府のたてまえのもと、変更出来得る範囲で本日の奉祝パレードが延期されたが、不幸に見舞わられた多くの国民がいる中で、国民向けの華美な奉祝行事を控えることは陛下の御心にそぐわないとして予め当然のこととして定められていたのだと思う。
令和元年10月22日、私が宮司という立場で即位礼の奉祝祭を町田天満宮社殿で斎行するのは、これが最初で最後と考える。神饌はなるべく国内被災地の産物や町田市内の農作物、また
果物は季節の物にこだわり量より質を重視。海産物の器は伊勢神宮の饗膳で賜った未使用の土器(かわらけ)。祝詞の中の神饌に関する文章はこれらに合わせた。
午前9時斎行。浄衣にて2名奉仕。氏子総代礼服に白ネクタイで参列し、滞りなく式は完了。終了後、別室にて撤下した海産物と神酒で質素に直会。人知れずとも粛々と斎行叶ったことに感謝。
梅便り 平成31己亥歳弥生11日
梅便り 平成31己亥歳如月26日
梅便り 平成31己亥歳如月廿日
梅便り 平成31己亥如月13日
立春(旧正月)
ポカポカと温かく、まさに立春が春立つと書くような陽気。昨日は節分祭が賑やかに執り行われ、鬼打ちで厄を祓って清々しい気持ちで今日を迎えた人は少なくないはず。節分の豆まきが一般に流行する以前は、皇室の大晦日に行なわれる追儺の行事でした。やはり災厄を打ち払う意味で行われていましたが、撒いていたのは大豆に限らず穀類であったということです。これが庶民に伝わり手ごろな大豆が定着したということでしょう。もし、元旦も新暦(西洋歴)ではなく旧暦のままであったなら、大晦日に節分行事をして、翌日は初詣と忙しいことになっていたでしょう。明治以前は今日が新年元旦ですから、七草の素材も野で採ることができたのも、旧暦1月7日であったからです。無理やり新暦7日に七草といっても、野はまだ真冬ですから売っているもので間に合わせるしかありません。もう少し旧暦とうまく付き合わないと、日本人の季節感がずれていってしまうように思います。
人間を一旦傍らに置いて考えれば、暦など関係のない草花は淡々と季節の変化に合わせて生きています。日本人の体内時計を草花に合わせていけば、本来の在るべき生き方に戻していけるような気がします。
境内では鹿児島紅と故実の思いのままが見頃です。飛梅も少しほころんできました。
真冬に頑張ってきた蝋梅を引継ぐように、シナマンサクの花がほどけて、ミツマタも外側からポツポツと開き始め、山茱萸(さんしゅゆ)も暖かな陽気に固い蕾を緩めています。