東北の震災より早7年、日待ち梅の販売も6年になったということですね。先が見えない原発の廃炉作業。被害を被った人々の心のケアも含めると、10年以上かかって50兆円が必要との試算も出ています。廃炉で出たゴミの処理方法も模索中で、100パーセント安全でないことが証明されてしまった原発を国は海外に輸出しようとしているなんて、常識的に考えられないことだと思いますがいかがでしょう。今年に入り、患者への負担もなく、副作用もなく、しかも安価で、末期がんを一日で治す治療法が発表され、再来年あたりから実用化されるということで、世間がざわつき始めていますが、放射能もたちどころに無力化するようなものが開発されたなら、私はその開発者を生き神様としてお祀りしたいと思います。被爆して甲状腺ガンの不安を抱える子どもたちの心が救われることが何よりです。
飛梅と枝垂れ梅が満開となりました。いよいよ開花を待つのは楊貴妃だけとなりました。ミズキ科の山茱萸とミツマタも負けじと満開です。
タウンニュース掲載コラム「宮司徒然」其の18 スプラウト
スプラウトが注目されている。特にブームに火をつけたのはブロッコリー。要するにスプラウトとは新芽のことで、もやしやカイワレ、豆苗などもそうだ。種から発芽したばかりのものから、暗室で緑色にさせないものなど数種類あるが、どれも種の時点ではなかった栄養素が作られて身体に良いとされている。
動物は草食、肉食、雑食に大別されるが、中でも人間は雑食の頂点にいると言って良いだろう。動物に食べられないように自らに毒を持たせたり辛くしたり苦くしたりと進化してきた植物もあるが、煮炊きをし、毒の部分を避けたり毒抜きをしたり、人間はあらゆるものを食用としてきた。また、これが身体に良いと報じられれば我先に飛びつき、ブームが去ると次が登場する。これもまた人間の生存の欲望だとするなら致し方ないが、常に踊らされてる感がつきまとう。しかし飛びついて大量に摂取しても人間の栄養接種能力には限界がある。それでも飲んだことで精神的に元気になった気になれるのなら、それはそれで悪いことではない。幼少期、ホウレンソウを頬張ると急に力が湧いてくる気になっていた私が言うのだから間違いない。昔から体に良い食べ物と悪い食べ物の情報は常にあって、そのたびに多くの人が振り回されてきたのも、この日本という国が何でもあって選択肢がある証拠。食べる物に困窮している国には選択肢はなく、生きるために食べるという生命の原点に近い。我が国でも戦争を生き抜いた世代の胃腸は強靭だ。命を繋ごうという原点が精神力プラス吸収力になったのだろう。その点我々の世代は何でもあるがゆえに弱い。そして様々な情報の錯そうに惑わされながらたどり着くのは、満遍なく食べていれば大丈夫だという悟りのような結論で、幸せなことに今の日本は栄養が偏るような食糧難な国ではない。ただし、子どもの6人に一人が貧困だという事実もあり、実際に夏休み明けに痩せている子どもが少なくないという。給食がない夏休みは、家庭で満足に食べていないということだ。安倍さん、何とかならんのか。
ブロッコリースプラウトが店に並ぶようになった時から感じていたが、これらは育てればブロッコリーになるのだから、その方が効率良くないのかと。魚で言えばシラスにも言えることで、シラスのパックを眺めると大量の鰯の群れが想像できないこともない。こんな小さいうちに獲ってしまってイワシの漁獲量は大丈夫なのかと思ってしまう。植物の話に戻すが、枝豆は大豆の未成熟な状態を食用にしているだけであって枝豆という品種はない。ならば成熟させればと思うのは素人で、枝豆に適した品種と大豆に適した品種があって、それぞれに最適なタイミングで食用としているのだ。スプラウトも同様に成長したら種しか食用に適さないものが多く、特別な栄養素の接種のために食べられる新芽のうちにいただくというのも理に適っているようにも思える。人間が雑食動物の頂点に君臨する所以は、そのままだと食べることができないものも工夫して食用にしてしまうところにある。とりあえずは食前の「いただきます」を最もたくさん言うべき生物。魚を獲ってくれた人、鳥や獣や野菜を育ててくれた人、食べ物を買うお金を稼いでくれた人、美味しく調理してくれた人、そして何よりも命をくれた動植物に「いただきます」と感謝しよう。決して軽い言葉ではない。
さて、大阪の友人よりめずらしいスプラウト用の種をいただいた。最近注目されているチアシードとマスタードと向日葵。早速水耕栽培をしてみたが、私は命の芽吹きにワクワクし、食べるタイミングを逸した。秋口だけど、地植えしてあげようかなと・・・。
梅便り 平成30戊戌歳如月27日
平昌五輪はスポーツの祭典に不要な政治が絡んで、メダル獲得数が多くて盛り上がったというのに、我々はともかくアスリートたちには後味が悪かったのではないでしょうか。次は中国。近年のオリンピックは財力のある国しか開催できない傾向が強く、もっと世界中が協力してエコ化できないものでしょうか。
ここ町田市は市長・市議選も重なって大騒ぎ。スポーツで市政を盛り上げようとしている候補者の選挙カーが、平昌五輪の放送を観ている時に近所に来ると「あれ?」って感じたのは私だけではないと思います。
境内の梅はいよいよ蝶の羽重ねや薄羽睦月が見頃になり、飛梅、豊後系が咲き始めています。ミズキ科の山茱萸(さんしゅゆ)もだいぶ膨らんできて、春も本番間近です。
タウンニュース掲載コラム「宮司徒然」其の11 お屠蘇とオケラ
お屠蘇(おとそ)は現在、正月元旦に1年の厄除けと幸福を願って飲む縁起物のお酒とされているが、実は処方の難しいれっきとした漢方薬で、濃すぎれば反対に体調を崩すこともある。今ではティーバッグになって市販されているが、これは成分こそ間違いはないものの、身体に入れても薬効もなく勿論害もない文字通りの縁起物だ。大晦日に数種類の薬草を混ぜて酒に浸して作るが、その中にオケラの根が入っている。水分代謝が悪くむくみやすい人には効能があるとされている。また、オケラの新芽や若葉は山菜としても美味しくいただける。
このオケラの根は違う利用もされている。京都の八坂神社(祇園社)は大晦日に「おけらまつり」という神事がある。焚き上げの中にオケラの根が入れられ、参拝者はその火種を専用の縄に移して、消えないように振り回しながら家まで持ち帰りその火で雑煮を作って家族で食べれば、1年間無病息災に過ごせるという。その昔は火種を振る人に限り電車内も咎められなかったというから、鉄道会社の寛大な措置もさることながら、よほど京都の人にとって大切な風習であることがわかる。オケラの薬効は無病息災や厄除けに派生し、良き風習として京都の人々の心に根付いている。
一方、都としてはるかに歴史の浅い東京には、さほどの伝統的な古い風習はない。それでも正月元旦に家族揃って御節を食べるとか、七夕飾りをするとか、うなぎを食べるとか、十五夜を眺めるとか、家族でできる習慣はたくさんあるが、はたして家族は集まっているのだろうか。各々が日々頑張り、時に集まって語り、また頑張り、また集まる。これを繰り返していくことが人間生活には大切なこと。孤独な人がいたなら集まれば孤独でなくなる。簡単ではなくともそういう社会が理想。世界各国にもあるように、日本にも集まるきっかけとなる良き風習がたくさんある。利用しない手はない。良き習俗が消えゆくことと、家族や狭い地域社会の繋がりが希薄になっていくことはあながち無関係とは言えない。
梅便り 平成30年戊戌歳如月23日
黄色
梅便り 平成30戊戌歳如月15日
梅便り 平成30戊戌歳如月13日
梅便り 平成30戊戌歳如月11日
梅便り 平成30戊戌歳如月5日
暦の上では立春が過ぎ、早咲きの梅の枝を渡るメジロも賑やかになってまいりましたが、列島には執拗に寒波が居座り依然厳しい寒さの毎日ですが、皆様体調には十分ご留意ください。梅の開花もやや足踏みですが、ようやく手水舎裏の塒出錦(とやでのにしき)が開き始めました。手水舎の屋根下の枝だけ早く咲いたのには科学的な理由があります。通常なら屋根の下は日陰になりますから遅くなるはずですが、当社の手水舎は井戸水で水温が高く、手水舎の天井は気温よりやや温かくなっているからだと思われます。
塒出錦の「塒(とや)」はねぐらとも読み、鳥の巣穴、羽根を休める巣といった意味があります。確かに満開の時期には八重の大輪がひしめいて咲き、鳥が隠れるには良いのかもしれないと想像したり、春を待つ心は穏やかに思いを廻らせてくれるようです。