平昌五輪はスポーツの祭典に不要な政治が絡んで、メダル獲得数が多くて盛り上がったというのに、我々はともかくアスリートたちには後味が悪かったのではないでしょうか。次は中国。近年のオリンピックは財力のある国しか開催できない傾向が強く、もっと世界中が協力してエコ化できないものでしょうか。
ここ町田市は市長・市議選も重なって大騒ぎ。スポーツで市政を盛り上げようとしている候補者の選挙カーが、平昌五輪の放送を観ている時に近所に来ると「あれ?」って感じたのは私だけではないと思います。
境内の梅はいよいよ蝶の羽重ねや薄羽睦月が見頃になり、飛梅、豊後系が咲き始めています。ミズキ科の山茱萸(さんしゅゆ)もだいぶ膨らんできて、春も本番間近です。
タウンニュース掲載コラム「宮司徒然」其の11 お屠蘇とオケラ
お屠蘇(おとそ)は現在、正月元旦に1年の厄除けと幸福を願って飲む縁起物のお酒とされているが、実は処方の難しいれっきとした漢方薬で、濃すぎれば反対に体調を崩すこともある。今ではティーバッグになって市販されているが、これは成分こそ間違いはないものの、身体に入れても薬効もなく勿論害もない文字通りの縁起物だ。大晦日に数種類の薬草を混ぜて酒に浸して作るが、その中にオケラの根が入っている。水分代謝が悪くむくみやすい人には効能があるとされている。また、オケラの新芽や若葉は山菜としても美味しくいただける。
このオケラの根は違う利用もされている。京都の八坂神社(祇園社)は大晦日に「おけらまつり」という神事がある。焚き上げの中にオケラの根が入れられ、参拝者はその火種を専用の縄に移して、消えないように振り回しながら家まで持ち帰りその火で雑煮を作って家族で食べれば、1年間無病息災に過ごせるという。その昔は火種を振る人に限り電車内も咎められなかったというから、鉄道会社の寛大な措置もさることながら、よほど京都の人にとって大切な風習であることがわかる。オケラの薬効は無病息災や厄除けに派生し、良き風習として京都の人々の心に根付いている。
一方、都としてはるかに歴史の浅い東京には、さほどの伝統的な古い風習はない。それでも正月元旦に家族揃って御節を食べるとか、七夕飾りをするとか、うなぎを食べるとか、十五夜を眺めるとか、家族でできる習慣はたくさんあるが、はたして家族は集まっているのだろうか。各々が日々頑張り、時に集まって語り、また頑張り、また集まる。これを繰り返していくことが人間生活には大切なこと。孤独な人がいたなら集まれば孤独でなくなる。簡単ではなくともそういう社会が理想。世界各国にもあるように、日本にも集まるきっかけとなる良き風習がたくさんある。利用しない手はない。良き習俗が消えゆくことと、家族や狭い地域社会の繋がりが希薄になっていくことはあながち無関係とは言えない。
梅便り 平成30年戊戌歳如月23日
黄色
梅便り 平成30戊戌歳如月15日
梅便り 平成30戊戌歳如月13日
梅便り 平成30戊戌歳如月11日
梅便り 平成30戊戌歳如月5日
暦の上では立春が過ぎ、早咲きの梅の枝を渡るメジロも賑やかになってまいりましたが、列島には執拗に寒波が居座り依然厳しい寒さの毎日ですが、皆様体調には十分ご留意ください。梅の開花もやや足踏みですが、ようやく手水舎裏の塒出錦(とやでのにしき)が開き始めました。手水舎の屋根下の枝だけ早く咲いたのには科学的な理由があります。通常なら屋根の下は日陰になりますから遅くなるはずですが、当社の手水舎は井戸水で水温が高く、手水舎の天井は気温よりやや温かくなっているからだと思われます。
塒出錦の「塒(とや)」はねぐらとも読み、鳥の巣穴、羽根を休める巣といった意味があります。確かに満開の時期には八重の大輪がひしめいて咲き、鳥が隠れるには良いのかもしれないと想像したり、春を待つ心は穏やかに思いを廻らせてくれるようです。