53年ぶりの大寒波と2年ぶりの積雪。当社境内の梅も面食らって怖気づいているようです。それでもようやく神符授与所前の思いのまま(鶯宿)、結衣、加賀系の早咲き白梅が数輪ずつ開いています。毎年一番早い鹿児島紅と白梅の枝が絡む金子稲荷前、もう少しで紅白の競演になるでしょう。
今週後半も雪の予報がささやかれています。道端の凍った残雪の上に降ると、ますます滑りやすくなります。くれぐれも足元にご注意ください。
月別アーカイブ: 2018年1月
タウンニュース掲載コラム「宮司徒然」其の6 ハグ
「穢れ」という日本独特の民俗意識がある。これは特に神社神道に根強い。例えば、新生児誕生を神様に報告し、赤ちゃんがすくすく健康に育つよう祈願する初宮参り。しばしば「誰が赤ちゃんを抱くのでしょうか?」と尋ねられる。尋ねられなければ家族に任せているが、尋ねられちゃったら仕方がなく正直に答えるしかない。赤ちゃんを抱くのは優先順位として父方の祖母、祖父、母方の祖母、祖父、父親の順になる。しかし古来より男性が育児に関わらなかったことから、実際にはこの順番から祖父は除かれた。しかし最終的に父母の両親が不在の場合には父親が抱くことになり母親は抱かない。地域によっては初宮参りでは母親は社殿に入れないこともあるようだ。苦しい思いをして赤ちゃんを産んだ母親が排除されるとは憤り以上のものを感じるが、これは日本の歴史上、ともすると科学的と言えるかもしれない習俗の成り立ちが見えてくる。
ハグ。50代の我々の若い頃にはなかった言葉だが、今は普通に使われるようになっている。日本人は諸外国と違い、挨拶でやたらとハグをしたり顔をつけたりということはしない。スポーツでは日本でも珍しくない光景だが、それ以外となると旧友と感動的な出会いをしたり、苦労した計画が成功したり、感極まった時には握手やハグはある。ただし、日本でハグ禁止令を発令してもさしたる混乱は起こらないだろう。困るのは幼児と恋人くらい。しかし諸外国ではそうはいかない。当たり前の挨拶であるし、他に方法を知らないのだから狼狽えるだろう。しかしこれが、赤痢やエボラ出血熱やマーズ、デング熱、鳥インフルエンザの蔓延を止められない理由のひとつでもある。イスラム圏ではこのような伝染病の実状が紛争によって報道の前面に出てこない。1年で数千人が感染して死亡している事実がある。ただしムスリム(イスラム教徒)の男性は髭を蓄えることが戒律の中にあり、挨拶で頬をつけるが髭が辛うじて地肌の密着を寸止めしているという話だ。
古代日本でも同様に伝染病は多発し、これを呪術または隔離という手段で撲滅していた時代が長くあった。今でこそ家族の中にノロウィルスの感染者が出れば、触れた所、嘔吐物、排泄物、全て消毒して患者と接するときはマスク着用と、万全の態勢をとるよう指示されているが、古代は伝染していく病気の原因はわからず、病人を根絶する手だては祈るか遠ざけるしかない。それでも、触れた人、近くにいた人が次々に同じ病気にかかれば、息、咳による唾液、汗、血などの体液が原因であることはわかってくる。病というものの対策として、体液=穢れというざっくりとした図式が根付く。神道では生きること自体が穢れること、つまり食べれば排泄する。動けば発汗するし怪我もする。すべてが体液につながるから生きることが穢れることとなる。だからこそ宗教儀礼には「祓い」や「清め」がつきもの。境内に入ったら手水をとるのは、頭から水をかぶって全身を清める禊が簡略化されたもの。伊勢神宮の神職は現在も境内の外から神社に戻ると禊を行う習わしを守っているが、一般人がいちいち鎮守様にお参りに行くのに水をかぶっていたら大変な手間。簡素化されるのも頷ける。社殿内での式では必ず最初に祓いの儀がある。神様の前に立つ前に心身を清浄にするためだ。
半年に一度の茅の輪神事も、半年間で蓄積された罪や穢れをリセットする儀式である。命ある生物は他の動植物を殺して食わなければ生命を維持できない。食うほどに罪は貯まる。水と塩だけでは生きられないのだ。こうして穢れに対する習俗が根付き、お産により大量の体液を排出した母親は初宮参りの最下位となった。しかし、医学が進歩した今ではどうでもよいことなのだが、古い習俗を守ろうと考える日本人の心もある意味では美しい。縁起をかつぐのも日本人の特異性であるし、病気(=穢れ)にならないことは心身が美しいことなのだから。
とにかく、日本の一般的な挨拶にハグや握手が無いのは、この穢れに対する意識の歴史があればこそだと思うし、このお蔭で伝染病が食い止められてきたことも事実。エボラやマーズに対して感染を止めやすい国だということは確かだ。私も、たとえば長年尊敬し憧れていた人に出会ったなら感極まって握手をするだろう。しかし、そうでなければ好んですることはない。選挙運動でやたらと握手する政治家の皆さん、どうか日本人の握手に値する人間であり続けた上で、手洗いはまめにお願いしたい。
落雪注意
時ならぬ大雪で東京は大騒ぎでした。
境内も20㎝ほど積もり、今朝から慣れない雪掻きです。
当社は社殿、旧社殿ともに北向きで、夜半に銅板屋根から滑り落ちた雪が凍り、旧社殿は開門できなくなりました。まだ屋根に落ちていない雪が留まっています。ご参拝の皆様、正面中央で参拝をお願いいたします。両脇は危険です。
タウンニュース掲載コラム「宮司徒然」其の8 鏡餅
日本人は言葉遊びも縁起かつぎも大好きな民族。例えば葦(あし)。日除けとして古来より葦を利用して作られるのは葦簀(よしず)。葦(あし)は「悪し」につながるから「良し」に転化した。千両と万両は赤い実の付き方が違い、千両は葉の上に、万両は葉の下に付く。万両の方が重いから垂れ下るという貨幣価値(重さ)で名付けられた両者は、共に縁起の良い木として庭木にされる他、千両は正月のめでたい生け花に利用されている。また、「死」や「苦」とつながる4や9は、旅館の部屋番号から除いてあったり、お刺身なども4切れにしないとか、「身が切れる」からと3切れを避けたりもする。年の瀬師走の29日に正月用の餅をつかないのは「九餅」が「苦持ち」につながるから。これに関連して新年用の神棚もこの日を避けて飾られる。また一夜飾りを避けて大晦日には飾らない。何でもかつぎやすい日本人は海外のものまで輸入。最近は13日の金曜日まで。
新年に飾る鏡餅は本来新年の幸福をもたらす「歳神様(としがみさま)」の霊威が宿る場所。今でも元旦に家族揃って歳神様の宿る鏡餅の前で御節(おせち)料理をいただく地域もある。御節料理とは、歳神様がいらっしゃる7日までの松の内に騒がしく家事をすることを避けるため、暮れに作る日持ちのする料理をいう。今でも洗濯や掃除などを含めた家事全般をしない風習があるのは、静かに歳神様に和んでいただくという意味が転じて、正月早々にせわしく働くと一年中そうなるという縁起かつぎだ。鏡餅や御節料理には言葉遊び満載。重ねた餅の上に橙(だいだい)を乗せるのはまんま「実りある代々を重ねる」。黒豆は「マメに暮らせるよう」、昆布巻きは「よろコブ」、海老は「腰がまがるまで長寿で」、数の子は「子孫繁栄」、錦糸卵は白と黄色を金銀に見立てて「商売繁盛」、etc・・・。鏡餅は歳神様がいらした場所だから、一般的な鏡開きの11日に金槌などで割り、雑煮やかき餅にして有難く霊威をいただき新年の活力にする。餅が乾いて硬くなってしまう前に包丁で切るのはNG。ましてや松の内であれば歳神様を切ってしまう。おそらく慌てて歳神様は逃げ出すが、その年の福徳も断ち切るとされ、雑煮用の餅は別に用意しておくことが必須だ。金沢や兵庫などの鏡餅には干し柿が棒に10個刺されて翼のように上に飾られる。(元々柿は幸福が来るという意味で「嘉来」と表す。) 両端の2個ずつが真ん中の6個より少し外に離し、「外はにこにこ(2個2個)、中はむつ(6つ)まじく」という微笑ましい言葉遊びで新年の幸せを願う。関西圏が丸餅なのも角が立たない丸い人間関係を望む故のこと。
今年国内では豪雨による堤防の決壊で多くの人々が被災した。箱根、阿蘇、桜島、口永良部島などマグマも活発で、箱根などは過度の風評により観光業は沈滞。TPPの合意で第一次産業は先の見えない不安にかられている。また、依然として紛争が治まらないイスラム圏は、シリアを中心にアメリカ、ロシア、トルコ、エジプト、イスラエル、クルド人などが、それぞれに敵対・牽制・友好・協力の図式を絡めて、どうにも解決できない様相。そんな矢先に起こったフランスへのテロ。そしてトルコによるロシア機の撃墜で、混迷する各国の関係はダェーシュ(IS)の思うつぼのような状況。(また大量殺戮やテロ行為をISのように発表しないボコ・ハラムは、実際にはIS以上に殺しているという話もある。) その間にも救うべきは生きるために母国から逃れるシリア難民。歴史上国境を接したことのない我が国がいつまでも傍観者でいるわけにもいかない。この世界情勢の流れの一部に安保改正もあって、残念ながらまだ生かされている国であることを再確認。終戦という表現が無理やり一般化されているが、沖縄の人々が訴えているように正しくは「敗戦」なのだ。
島国日本とアラブ諸国との国民性やイデオロギーの相違は大きい。そんな国々とも均衡を保たなければ日本の平和と生活は守れないのが現実だ。エネルギー自給率1割に満たない我が国がアラブ諸国に見限られたら経済は停止する。これまでの外交努力によってエネルギーを得ていることも忘れてはならないし、産油国への感謝も必要。日本の政治は利害ありきで感謝や謝罪を調整するから単なる駆け引きでしかない。とは言え物価の高いこの国で日々生きてゆくのも楽じゃないし、国の内外の情勢を考えたり行動したりは誰しもができるものではないからこそ、それを請け負う代表として議員がいるのに、一般庶民が出張って議事堂前で大騒ぎするような政治では代表として任せた意味もない。頑張ってほしいものだ。
災い全てをリセットすることは叶わなくとも、新年を迎えるにあたって個々に気持ちをリセットして自己を見つめ直すことは大切。歳神様を静かにお迎えして「外はにこにこ、中はむつまじく」ありたい。人も国も。
(タウンニュース社 コラム「宮司の徒然」其の8 掲載:平成27年12月)
宮司徒然 其の3「梅の話」
ここ数日で境内に数本の梅がデビュー。境内に自宅があり、自宅周りの庭で梅などを種まきしたり接ぎ木したりして苗から育て、ある程度の丈になったところで境内デビューさせてきた。
接ぎ木とは、台木となる野梅や小梅の幹に守るべき品種の枝を接合して育てる方法で、有名な南高梅などもその方法で守られてきている。今回デビューしたのは接ぎ木の飛梅(とびうめ)と実生の飛梅亜種と加賀。梅は品種を守るため接ぎ木が最善の方法。一方種まきによる実生では変化が起きる。つまり、花には他の様々な梅の花粉も受粉する。そして同じ種族故に拒まない。できた梅の実には様々な梅の遺伝子が入り込み、発芽して育つうちにその特徴が顕われてくる。こうして梅の品種は増える。 飛梅は、御祭神菅原道真公の死後、京都の旧私邸の庭より一夜にして墓所である大宰府へ飛び移ったという伝説の梅で、現在も大宰府天満宮社殿前にあり、御祭神の御霊を和ませている。それを接ぎ木して京都の北野天満宮へ植樹。さらに接ぎ木で増やし全国の天満宮、菅原神社などへ。当社も北野天満宮よりいただいたものが境内の旧社殿前右側にある。そして今回、当社名誉宮司(父)が接ぎ木した飛梅が旧社殿前左側に。そのために移された真榊は迷惑だったかもしれないが、めでたく飛梅が一対になった。一方飛梅の実から発芽して育った飛梅亜種は、たった5年余りで3mに成長し幹も直径7~8センチ。昨年あたりから開花するようになったが、花の数が多いのと白の八重咲きであることは飛梅の特徴を保持。ただし、新たな性質として、①開花が境内のどの梅よりも早い。②花が小柄で花弁が薄い。③成長が早い。この3つが目立っている。特に開花時期が最も早いのは境内の梅にはない冬至梅(とうじうめ)系の特徴。では近所のどの梅かとつきとめるにも、大気中には盆栽の花粉も飛んでいるのだから特定は不可能。そもそも遠い近いもわからない。こうして実生による株は新品種となり、つまり私が命名しても差し支えはない。ただしその特徴を守っていこうとするならば接ぎ木をしていかなくてはならないから面倒だし、梅も望んでいるとは思えない。それ以前に名前なんて梅には関係ないのだろう。
すべての動植物はスピードこそ違うが、ひたすらミックスされていく。人間も例外ではない。それが自然。だから、極論と言われるかもしれないが、長い長い時をかけて人間も自然にミックスされていき、やがて地球上が一つの人種になって言葉も共有できたなら今ほど争わず対話できるはず。同じ種の生物が殺し合う愚かな行為もなくなるはず。そのためには環境を守り、改善し、地球を長生きさせなければならないと、より多くの人が意識して生活することが大切だと思う。紛争中の国民に言わせれば、平和ボケのぬるい島国ならではの考えと笑うだろう。それでも、かつて我が国が刻んだ愚かな殺し合いの歴史があればこそ、紛争は普通ではないんだと気づいてほしい。地球上すべてに平和が訪れた時、梅たちは慈しんでもらえてるだろうか。それとも、地球上に生物はもう・・・。
(タウンニュース町田・相模原版 コラム掲載日 2015/8/20)
コラム掲載のお知らせ
平成27年6月より地元のタウン誌「タウンニュース」(株式会社タウンニュース社)にコラムを掲載してまいりました。編集長からの条件は私にとってとても楽なもので、特に神社ネタでなくてもよいし、趣味の草花や虫の話でもよいし、ネタ切れしたら無理に書かなくてもよいとのこと。ギャラは当然発生しないし、つたない文章で欲しいなんておこがましいにもほどがある。あくまでも、自由に書かせていただけるだけで有難い。そのコラムも月に1~2度の掲載で、かれこれ3年目、36話にもなってしまったが、読むのを楽しみにしてくださる方々もいらっしゃるので、掲載してくれるうちはもうしばらく続けようと思っている。
木曜日に読売新聞と朝日新聞に挟まれるが、最近知った人が以前のも読みたいと言うので、Webでタウンニュース社のページを開けば読めるとお伝えしたものの、高齢の方はなかなかできないらしい。そこでタウンニュース社にブログにアップして良いものかと問い合わせたところ承諾をいただけた。季節に合わせて少しずつアップしていきますので、よろしかったらお暇な時にでも覗いてみてください。
梅便り 平成30戊戌歳睦月18日
三が日は天候にも恵まれて大勢の参詣者においでいただきました。おおよそ4万人の崇敬者が訪れて、御祭神菅原道真公をはじめ大綱・日枝の併祭神、また摂社にいらっしゃる神様たちもさぞお喜びになられたことと思います。空前の御朱印流行で若者の参拝者も増えたことは喜ばしいことですが、名誉の負傷とも言いましょうか、腱鞘炎と闘いながら、いやごまかしながらの日々です。その対策として、文字もすべて判にしたり、紙に作り置きしたりと、多くの神社が採用しているようですが、当社では今のところは、できる限り筆でその都度書いてさしあげようと思います。ですから、紙でのお渡しもしておりませんので、必ず朱印帳をお持ちください。ただし、松の内などは4名しかいない職員の内の1名(今は私)が終日机に張り付いて、祈願札と御朱印の書入れに終始するため、来訪者にきちんと挨拶もままならない状況になっていますから、これ以上増えたなら何らかの対策を講じざるを得なくなるのかもしれません。
師走から新年にかけて列島に寒波が覆いかぶさり、各地で異例の大雪に見舞われるなど厳しい冬となっています。当社境内の梅の開花もだいぶ遅いようです。昨日今日と寒さが緩んだせいか、ようやく鹿児島紅と加賀系の早咲きが1輪ずつほころびました。春はゆっくり確実に近づいてきています。