春一番でしょうか、午後から春風が境内で暴れています。咲き終わりが近い梅に容赦なく吹き付けて花びらが舞い落ち、地面を流れています。梅にとっては想定内の洗礼なのかもしれません。想定外な独裁者の他国侵攻とは大違い。21世紀に侵略戦争が起こるとは、まだ現実として受け止めきれていないような感じもしますが、世界的に凶悪な国になってしまったロシア国民は、いったいどんな心持ちでしょうか。民族的にも兄弟のような国と戦い、恥ずかしい、情けないと嘆きつつ、怒りを政府にぶつけようとしても、逮捕され罰せられる法律まで作られてしまっては身動きもとれません。情報統制する独裁政治とは恐ろしいものです。
品種の思いのままが、ようやく思いのままらしさを見せ始めてくれました。こちらは決して彼のような身勝手な思いのままではありません。
草木便り 令和4年弥生1日
梅便り 令和4年弥生1日
とうとうロシアは武力を使ってしまいました。この21世紀では、国同士が戦う道具を武器という物理的なものですることは、勝手なイメージかもしれませんが、私は有り得ないものと思っていました。原始人が太い棒で殴りかかるのと何ら変わらない幼稚な行為だと。そして陣取りとテリトリーの拡大。世界は、殊に大国は飽和状態になったと思って
いたのですが、やらかしてしまう前時代的なリーダーもいたんですね。
東京は急に春めいてきました。今年の梅は早咲き組が遅れたせいで、遅咲き組と時期がかぶりそうです。例年より10日以上遅れて白加賀が咲き始めてまだ三分咲きくらいですが、にわかに暖かくなったせいで旧社殿前の飛梅や鳥居脇のおもいのまま(品
種)がほころび始めています。最も株数が多い白加賀がそろそろ見頃ですから、いよいよ賑やかになってきて
、蜜をついばむメジロも忙しくなります。
草木便り 令和4年如月21日
今年の2月10日初午(はつうま)に赤い稲荷鳥居が1基奉納されました。旧暦には日毎に十二支があります。よくご存じのところでは、熊手を売る酉の市。11月の酉の日に開かれる市で、12日に1度行われますから、11月中に2回の年と3回の年があり、酉の日が3回ある年は火事が多いという言い伝えがあります。初午は2月最初の午の日のことで、年に一度のお稲荷様の例祭日です。今年は新しい鳥居を奉納されたヤマギワPCサービスの代表の方も参列してくださり、境内社ですから盛大ではないものの、祭壇にお供え物を揃えて厳粛に禰宜が奉仕致しました。その初午の頃、春の様子をうかがうようにほどけ始めたシナマンサクの花が、今日はすっかりほどけきっていました。鳥居脇の山茱萸(さんしゅゆ)はまだ小さい玉のような蕾から少しだけ顔をのぞかせて春を待っているようです。
梅便り 令和4年如月21日
梅便り 令和4如月11日
今年の初午はあいにくの霙。各所の稲荷社例祭でしたが装束がよく濡れました。かえってしっかりと凍った雪の方が濡れずに済んだのではないかとも思ってしまいますが、それはそれで関東は大混乱。コロナで救急車がなかなか来ないのに、転倒して怪我する人、車のスリップ事故など、ますます救急車が足りなくなる事態になりますから困ったことですね。
それほど気温が下がらなかったお陰で、膨らみかけている梅の蕾もホッとしたのではないでしょうか。温暖化が騒がれているのに、今年の冬はいつもより寒い日が多く感じられ、梅の開花も遅くなっているようです。一重の薄いピンク色は「思いのまま(故実による)」、少し丸い白花は冬至梅、赤い八重咲は塒出錦(とやでにしき)、花びらの先がやや尖っているのが小梅の「結衣(ゆい)」です。まだまだ一部咲きにもなっていませんが、日々花の数を増やしています。春はもうすぐです。
梅便り 令和4年如月4日
コロナ禍で2年続けて節分行事が中止となり、
本来疫病や災厄を追い払うための豆まき行事が、密を避けるために中止されるとは、何とも複雑な思いです。そんな人の気持ちを知ってか知らずか、境内の梅の蕾はだいぶ膨らんでまいりました。ようやく飛梅(とびうめ)の実生(みしょう=種から育った亜種)「薄羽睦月」が八重の花を三分ほどつけました。命名したのは私です。旧社殿前の飛梅の花に他の梅の花粉が付いて、できた果実の種は別の遺伝子がプラスされます。種から育った木を実生(みしょう、またはみせい)と呼び、いわゆるミックスになります。この飛梅の実生は花が飛梅よりやや小さいこと、成長が早いこと、花弁が薄いこと、そして何より早咲きであるなど、親の飛梅とは性格がだいぶ違います。花弁が薄いことと1月に開花することから、「薄羽睦月」と命名しました。
梅便り 令和4年睦月
令和3年秋季例大祭 幟立て
迷走した末に九州、四国、南紀を突き抜けた台風一過の今日、空は晴れわたり汗ばむほどの好天。昨年に続き縮小して斎行される秋季例大祭を来週に控え、神職だけで幟を掲揚しました。年に一度の神様をお祝いする日、宮神輿巡幸や境内を埋める出店も中止となり、参列人数を制限しての式典だけ予定されています。それでも決して式の内容は厳粛に、お供え物はいつも通り豪華にします。祝詞は去年同様に「コロナの早期終息祈願詞」が加えられます。
青空にはためく幟を見上げ、囃子が賑やかに祭を知らせ、各町内会が神輿を担ぎ渡し、境内に100店余りの露店がひしめき、神楽殿で神楽や和太鼓が披露される、当たり前だった一昨年までの祭りに早く戻るよう祈るばかりです。
楠の枝降ろし
長引くコロナ禍の自粛生活で、さぞやストレスの溜まることも多いかと存じます
が、大切な人々のためもうひと頑張りです。そもそも、コロナウイルスはほぼ人体の中でしか生きられない弱いものです。ワクチンが概ね行き渡ればウイルスは生きる場所を失います。来年の今頃はインフルエンザ並みのレベルになっているはずです。
さて、人流を抑え密を避ける対策は、神社も大きな影響を受けました。
そんな中、いよいよ楠の大木の枝降ろしをしなければならない年になり、7年ぶりに大型クレーン車と高所作業車による枝降ろし作業が開始されました。ご参拝の際にはご注意下さい。